2013年7月8日月曜日

節約は善という「常識」が国を貧しくする

一家の家計や一企業の常識を、そのまま国レベルの経済に当てはめようとすると、困ったことが起きる。あたかも、悪いめぐりあわせでそうなったかのように見えるが、マクロ経済学の視点からみれば、それは起こるべくして起きたに過ぎない。何か行うと、それがめぐりめぐって、それを打ち消すようなことが起きるというのが、マクロ経済学の「相対性理論」たるところなのである。デフレをみすみす悪化させてしまった要因には、その国民性も関係していたように思える。欧米であれば、不景気だろうがなんだろうが、自分の働きに対して、同じ代価を受け取るのは当然だと考える。ところが、日本人は、会社の経営が苦しいのなら、少しくらい賃金が減らされてもやむを得ないと考えてしまう。ところが、これがデフレを悪化させてしまうのだ。

また、日本には、昔から質素倹約を尊ぶ気風がある。たとえば先述の新井白石にしても、水増しした貨幣を正して、泥沼のデフレを招いたのだが、その評価は伝統的に高い。それも、庶民にではなく知識人の間で評価されてきた。日本の伝統的な価値観としては、贅沢に浪費する政府よりも、質素倹約を旨とする清貧な政府が好ましいと考えるのである。質素倹約を尊ぶ価値観は、ある部分では大切なものである。貯蓄を殖やし、資本を蓄積し、それによって投資が活発となり、中長期的に経済が成長するうえで大切な役割を果たしてきた。もしすべての人々が、宵越しの金は持たずで、有り金を全部はたいて、消費だけに明け暮れ、まったく貯蓄をしないとしたら、経済成長は起こらず、その日暮らしの生活が永久に続くだろう。

貯蓄することで、それが纏まって投資を生み、それがもっと大きな経済価値を生み出す基盤を作る。日本人が戦後の焼け跡から今日の繁栄を築くことができたのも、働いて得たものの何割かをせっせと蓄え、それが投資に回って経済の土台を拡大していったからである。しかし、国の経済が、いつも質素倹約にすればよいということにはならない。不景気な時に節約して財政支出を減らせば、もっと景気が悪くなってしまう。不況の時こそ大胆にお金を使って、景気がいいときに、財政を緊縮にすべきなのである。ところが、現実には逆のことをやってしまう。

明治以降も、今日に至るまで、日本には同じ価値観が根強く残っている。安達誠司氏が『脱デフレの歴史分析』において指摘しているように、日本では、松方正義や演口雄幸のような緊縮財政を敷いた人物が高く評価される風潮がある。特に日銀においてはいそうした傾向が強いという。だが、デフレ政策こそ、日本を破滅へと向かわせた前歴のある政策なのである。その間の状況を、同書を参考にしながらたどってみたい。演口雄幸内閣のときに起きた昭和恐慌は、大陸侵略から太平洋戦争へと至る日本の破滅的暴走の起点となったことで知られる。昭和恐慌はなぜ起きたのか。なぜ、日本は戦争へと突っ走ってしまったのか。そこには、やはり日本人の清貧の思想が災いした面が見えてくるのである。

当時の日本は、日清日露の二度の戦争に勝利し、世界の列強の仲間入りを果たしたものの、そのときの戦費を賄うために発行された莫大な外債が、日本の財政にのしかかっていた。第一次世界大戦によるバブル景気とその後の不況、さらに、関東大震災によって膨らんだ不良債権を抱えていたのである。その状況は、さながらバブル崩壊後の長引く不況、それに追い打ちをかけるように襲いかかった阪神・淡路大震災、不良債権問題に苦しむ九〇年代以降の日本の状況、あるいはまた、財政危機と不況の最中、東北地方太平洋沖地震に見舞われた今日の状況にもオーバーラップするかもしれない。