2013年7月11日木曜日

景気底割れを恐れた日本

もうひとつ見逃せないのは、資本の流れである。一九九〇年代後半から二〇〇〇年にかけて、経常赤字が膨らんでいたにもかかわらずドル相場が強かったのは、海外から米国への資本流入が拡大していたからだ。ところが、〇一年の情報技術(IT)バブルの崩壊を機に、欧州から米国への直接投資や株式投資はぱたりと止まった。その結果、米経常赤字の穴埋め問題が大きなテーマになりかけていた。米国は〇三年三月に戦端を開いたイラク戦争で、サダムーフセイン政権をあっさりと打倒した。五月一日の戦勝式で、ジョージーブッシュ大統領は得意の絶頂にあったが、米経済にはデフレの影が差し、経常赤字の穴埋めという難題を抱えていた。

一方、〇三年春の段階で日本が恐れたのは、全面的なドル安が誘発する円の急騰だった。〇三年四月に日経平均株価が八千円をも下回り、バブル崩壊後の最安値を更新していた。円高加速がもたらす経済へのダメージは計り知れなかった。大量介入の口火を切った〇三年五月八日という日付は、米国への資本の流れという点で、象徴的な意味を持っている。米財務省が二月、五月、八月、十一月と、四半期に一度ずつ実施している、米国債定例入札の当日だったからだ。〇三年五月の入札は、六日から八日の三日連続で実施され、五月八日はその最終日。焦点となる期間十年物の国債入札が実施されたのだ。

入札の直後からドル安が進み、債券が投げ売りされるようなことになれば、米国の長期金利は急上昇しかねない。デフレを懸念するFRBが短期金利を低めに誘導しても、長期金利が上昇したのでは逆効果である。海外からの資本流入に頼る米国のアキレス腱はここにあった。その矛盾を埋めたのが、日本による介入資金だった。円売り・ドル買い介入の役目は円高の防止にだけあるのではない。介入の結果、積み上がった日本の外貨準備は、米政府証券の購入に充てられているのである。日本の外貨準備のなかの外貨証券がすべて米国債で運用されていると仮定して、そのころ三菱UFJ証券の水野和夫チーフエコノミストが試算したところによると、○三年の日本からの米国債投資の八二・七%は介入に伴う公的マネーだった。短期証券(Tビル)を除く、中長期債に限れば、公的マネーの比率は八九・七%にものぼる。

財政収支と経常収支という米国の「双子の赤字」を、日本の介入マネーがファイナンス(埋め合わせ)している。日本側からはこうみえる光景も、「ドルこそがすべて」と考える普通の米国人にはピンと来ない。米国の経営者や議会関係者には、「円高防止を狙った大量介入で輸出を後押ししている」とさえみえる。にもかかわらず、ブッシュ政権はあえて日本の大量介入に目をつむった。ブッシュ・小泉の兄弟仁義といったらよいのだろうか。そこには、狭い意味での経済的な計算を越えた、政治的な判断があった。

大量介入への転機となった〇三年五月。二十二日から二十三日にかけて、日米首脳会談が行われたのは米テキサス州クロフォードのブッシュ牧場だった。仏独口のイラク攻撃反対で孤立しかけたなか、政治生命をかけて支持してくれた小泉首相への感謝の意が込められていた。五月二十三日、一時間二十分の会談で経済関連の討議に割いた時間は、わずか十五分間。「日本経済がこんなに悪い状況なのに円の価値が上昇するのは、かつてなかったことだ」と小泉首相。これに対して、ブッシュ大統領は「強いドル政策を継続する」と答えた。首脳会談後のプレスへの説明はそっけないものだったが、約一ヵ月経った六月十八日夜、東京・紀尾井町のホテルニューオータニで奥田碩日本経団連会長ら経済人との会談の席上、首相自身が事情を打ち明けた。