2013年7月6日土曜日

国自体がうつ病にかかった

私は、誰かを非難するためにこの本を書くのではない。起きてしまったことは、もう取り戻しようがない。重要なのは、これからどうするかである。今光が見えずに生き死にの狭間にいる人たちに、どうしたら希望を回復させられるかである。自殺という悲劇を防ぐことは、国民が幸福に暮らせる社会を築き直すことでもある。高度高齢化社会という試練の時代において、それをいかにすれば実現できるのかについても論じたいと思う。大恐慌の時よりもひどい状態が続いている。今や、うつ病として治療される患者は百万人を超え、潜在患者はその数倍とされる。一年間に処方される抗うつ薬の量は急増し、うつ病に費やされる医療費だけで、約三千億円、それをやや上回る金額が、うつ病がきっかけで給付対象となった生活保護費に使われている。にもかかわらず、自殺者の数は一向に減らず、三万人を超えた状況が続き、平成二十二(二〇一〇)年までで十三年連続となっている。

アメリカで起きたあの大恐慌の時にも、自殺者の数が急増したが、もっともひどかった年の自殺率でも、十万人につき十七人という割合であった。一九九八年以降、日本で見られている自殺率は、十万人につき二十五~二十七人という高さである(警察庁「自殺の概要資料」)。大恐慌後のアメリカの異常な状況よりも、六割近くも自殺者が多いという事態が十三年も続いていることになる。この十三年で四十万人以上の人が、自ら命を絶ったことになる。この数字は、全人口の2・6%が、いずれ自殺によって亡くなるという事態を意味している。三十八人に一人である。自殺がどれほど身近なものか、改めておわかりいただけるだろう。

その人には家族がいるわけであり、自殺によって家族を亡くした遺族は、深い痛手を終生抱えることになる。家族を自殺で失った人は、うつになるリスクが高く、自殺の危険にもさらされやすい。そこに負の連鎖が生まれてしまうのである。家族に限らず、一人が自殺すると、平均十人が深刻な影響を受けると言われている。心の傷が広がっていくのだ。もちろんどんな理想的な社会であれ、自殺を完全になくすことはできない。戦後、もっとも自殺者が少なかったのは一九六〇年代で、日本が高度経済成長に希望を膨らましていたころだ。その頃でも一万人程度の自殺者はいた。現在の三分の一の水準である。それは、まだ発展途上だった経済成長期の話であり、先進国には当てはまらないと思われるかもしれないが、先進国でも、イギリスやオランダでは、今日も戦後日本で一番自殺者が少なかった時代の自殺率にとどまっている。先進国の中でも、日本はもっとも自殺率が高い国となっている。

なぜ、こうした状況が続くのか。今後、社会の高齢化が進み、働く世代の負担がさらに重くなると、事態はさらに悪化することさえ懸念されるのである。日本は本当にダメなのか。こんなにも多くの人が自ら命を絶つということは、精神的に追い詰められている国民が、それだけ多いということである。まだ、実行に至っていないにしても、そうした思いが頭をかすめそうになった人も含めれば、はるかに多くの人が、死とすれすれのところで生きていると言えるだろう。確かに世の中の情勢を眺めると、暗いことばかりが目立つ。二〇一〇年十二月現在で、失業率は5%を超え、有効求人倍率は〇・五七倍台だ。国民所得は増えるどころか減り続けている。少し景気が良くなりかけたと思えば、円高がやってきて台なしにしてしまう。

心年金記録問題や医療崩壊といった問題が次々と起きて、本当に年金をもらえるのか、われわれの老後はどうなるのかと不安に駆られてしまう。高度高齢化社会になって、はたしてどんな老後が待っているのか。そのうえ、虐待や無残な犯罪、環境破壊、温暖化、異常気象と天変地異、資源の枯渇と国家間の軋棒など、見渡す限り前途が危ぶまれる材料ばかりだ。どう見ても、これからの時代は多難で、希望のない未来に思えてしまう。だが、同時に、精神科医の習性としては、視点を変えて考えたくなるのである。うつなどの治療に、しばしば使われる治療法に認知療法というものがある。認知療法では、その人が陥っている特有の認知のゆがみを見つけ出し、それを修正することで、病的な状態からの回復を手助けする。