2013年7月12日金曜日

ウォール街を占拠せよ

そういう話をする人たちは、いまの生活レベルが永遠に維持されることを前提としてものを言っているのだが、現実的にはそうはならない。日本人の生産性と競争力が低下し、経済が縮小すれば、生活レベルは落ちていく。かつて買えたものが買えなくなり、旅行やホテルのランクが下がり、外食の回数が減り、どんどん質素になっていくだろう。一方、お隣の中国では、購買意欲旺盛な若者がどんどんお金を使って派手な生活を送ることになる。それを見てどう思うか。「あっちのほうが楽しそうだな」と思わないだろうか。思わないなら、それは生き方の問題だからしかたないが、貧しくなれば、金持ちの生活がうらやましくなるのは、自然な感情だ。

歴史が語る現実、いや現在も世界各国に存在する現実として、生活水準の低下、すなわち相対的な経済競争力(生産性)の低下は、最後は医療レベルや。公衆衛生も低下につながっていく。日本人の平均寿命や健康レベルも低下していくだ’ろう。ちなみに一部の中高年層が礼賛する古きよき三丁目の夕日の時代、昭和三〇年頃の日本人の平均寿命は約六六歳にすぎない。最近、流行りの「世界で最も幸福な国」ブータンの平均寿命も約六六歳。経済的な強さが、現代日本の世界最高水準の公衆衛生の基礎にあることは明らかなのだ。私はそれが失われていくような日本に自分の子どもや孫たちを住まわせたいとは思わない。

隣の国の贅沢ぶりが「うらやましい」で済んでいるうちならいいが、それが健康や寿命の問題にまで及んでくると、いよいよ国家としての末期症状。そうなると犯罪も増えていくだろう。ちなみに「競争社会の行きすぎのせいで、最近は日本でも凶悪犯罪が増えている」と勘違いしている人が多い。しかし、実際は殺人や強盗などの凶悪犯罪は、戦後、ほぼ経済成長と反比例するように減少している。これは米国も同様で、一九七〇年代から八〇年代の経済不調期に比べ、現在の米国は飛躍的に安全な国になっている。私か米国に留学していた九〇年代の初め、ニューヨークのブロードウェイ周辺は、とても夜、女性が一人で歩ける場所ではなかった。

スタンフォード大学のおひざ元、西海岸で最も裕福で安全な地域と言われていたパルアルト周辺でさえ、とても近づけない危険な場所があった。九二年四月にはロサンジェルスで大きな暴動が起き、私たちが住んでいたスタンフォード大学周辺にも夜間外出禁止令が出た。それと比べると最近の「ウォール街を占拠せよなど、事件の激しさにおいてはおままごとにすぎない。ここ数年、自称米国通の日本人著者が「米国はここ二〇年の経済拡大期に貧富の格差が広がり、ぎすぎすした危険で殺伐とした国になってしまった」と喧伝する本をよく目にする。しかし、事実として、二〇年前と比べて米国の凶悪犯罪発生率も低下しており、いまのほうが安全で清潔で住みやすい国になっている。リーマンショックの前後に関係なく。

もちろんあとで詳しく述べるように現代の米国にも多くの問題は存在する。しかし、深刻な没落の淵から米国が復活してきたことも事実なのだ。他方、過去の栄華に奢った結果、より貧しく、より不健康な国に転落し、国民が塗炭の苦しみにあえぐことになったケースも歴史上、少なくない。二一世紀の日本をこの没落国リストに決して載せてはならない。自力で下りられる財力はあるはずだ。団塊の世代がこれから大量に下山してくる。若い人たちはこれから山に登っていく。すると、登山道の途中で出会うことになる。そこで上の人たちが何を言い出すかというと、「下りるのが大変だから、君たち、ちょっとおんぶして一緒に下りてくれ」である。上の世代は自力で下りるのではない。ずうずうしくも若い人たちにおんぶしてもらって、背負って麓まで下ろしてもらおうとする。いまの日本の制度はそうなっているのだ。


2013年7月11日木曜日

景気底割れを恐れた日本

もうひとつ見逃せないのは、資本の流れである。一九九〇年代後半から二〇〇〇年にかけて、経常赤字が膨らんでいたにもかかわらずドル相場が強かったのは、海外から米国への資本流入が拡大していたからだ。ところが、〇一年の情報技術(IT)バブルの崩壊を機に、欧州から米国への直接投資や株式投資はぱたりと止まった。その結果、米経常赤字の穴埋め問題が大きなテーマになりかけていた。米国は〇三年三月に戦端を開いたイラク戦争で、サダムーフセイン政権をあっさりと打倒した。五月一日の戦勝式で、ジョージーブッシュ大統領は得意の絶頂にあったが、米経済にはデフレの影が差し、経常赤字の穴埋めという難題を抱えていた。

一方、〇三年春の段階で日本が恐れたのは、全面的なドル安が誘発する円の急騰だった。〇三年四月に日経平均株価が八千円をも下回り、バブル崩壊後の最安値を更新していた。円高加速がもたらす経済へのダメージは計り知れなかった。大量介入の口火を切った〇三年五月八日という日付は、米国への資本の流れという点で、象徴的な意味を持っている。米財務省が二月、五月、八月、十一月と、四半期に一度ずつ実施している、米国債定例入札の当日だったからだ。〇三年五月の入札は、六日から八日の三日連続で実施され、五月八日はその最終日。焦点となる期間十年物の国債入札が実施されたのだ。

入札の直後からドル安が進み、債券が投げ売りされるようなことになれば、米国の長期金利は急上昇しかねない。デフレを懸念するFRBが短期金利を低めに誘導しても、長期金利が上昇したのでは逆効果である。海外からの資本流入に頼る米国のアキレス腱はここにあった。その矛盾を埋めたのが、日本による介入資金だった。円売り・ドル買い介入の役目は円高の防止にだけあるのではない。介入の結果、積み上がった日本の外貨準備は、米政府証券の購入に充てられているのである。日本の外貨準備のなかの外貨証券がすべて米国債で運用されていると仮定して、そのころ三菱UFJ証券の水野和夫チーフエコノミストが試算したところによると、○三年の日本からの米国債投資の八二・七%は介入に伴う公的マネーだった。短期証券(Tビル)を除く、中長期債に限れば、公的マネーの比率は八九・七%にものぼる。

財政収支と経常収支という米国の「双子の赤字」を、日本の介入マネーがファイナンス(埋め合わせ)している。日本側からはこうみえる光景も、「ドルこそがすべて」と考える普通の米国人にはピンと来ない。米国の経営者や議会関係者には、「円高防止を狙った大量介入で輸出を後押ししている」とさえみえる。にもかかわらず、ブッシュ政権はあえて日本の大量介入に目をつむった。ブッシュ・小泉の兄弟仁義といったらよいのだろうか。そこには、狭い意味での経済的な計算を越えた、政治的な判断があった。

大量介入への転機となった〇三年五月。二十二日から二十三日にかけて、日米首脳会談が行われたのは米テキサス州クロフォードのブッシュ牧場だった。仏独口のイラク攻撃反対で孤立しかけたなか、政治生命をかけて支持してくれた小泉首相への感謝の意が込められていた。五月二十三日、一時間二十分の会談で経済関連の討議に割いた時間は、わずか十五分間。「日本経済がこんなに悪い状況なのに円の価値が上昇するのは、かつてなかったことだ」と小泉首相。これに対して、ブッシュ大統領は「強いドル政策を継続する」と答えた。首脳会談後のプレスへの説明はそっけないものだったが、約一ヵ月経った六月十八日夜、東京・紀尾井町のホテルニューオータニで奥田碩日本経団連会長ら経済人との会談の席上、首相自身が事情を打ち明けた。




2013年7月10日水曜日

「双子の赤字」の拡大

いずれの円高劇の背景にも、日本の経常黒字の拡大や日米貿易不均衡が存在した。だから、「経常黒字が円高要因となる」という刷り込み現象が生じたのだ。この議論には、変動相場制の導入を促した市場至上主義の経済学者の大御所、ミルトンーフリードマン流のおまけがつく。実際の円相場の動きは、こうした理屈通りにはなっていないのに、「経常収支」説の人気が高いのは単なる米国に対するトラウマとばかり言い切れない面もある。むしろ、企業収益の黒字、赤字と経常収支の黒字、赤字を同一視し、「経常黒字=善」、「経常赤字=悪」とみる傾向が、日本人の間に存在するのではないか。そうした心理的傾向は、景気が拡大するたびに輸入が急増する結果、景気にブレーキを踏む必要がでてきた高度成長時代の「国際収支の天井」や、石油ショック後に昧わった「資源小国」の悲哀など、戦後日本経済のアキレス腱を忘れられない、国民的な記憶に根差すのかもし
れない。

「経常黒字=善」と見なす発想は、しばしば「円高=善」と見なす発想に結びつく。経済同友会代表幹事時代に『円か尊敬される日』(東洋経済新報社)という著書までものした速水優・元日銀総裁が円高論を繰り返したのは有名だ。デフレ下の円高がかえってデフレを悪化させてしまうことを、速水元総裁が知らなかったはずはない。政策論議というよりも、戦後経済にかかわったセントラルバンカーとしての信仰告白に近いものがあったのではないか。一、二年という単位では当てはまらない経常収支説「経常黒字だから円高になる」という「経常黒字」説は、少なくとも一年、二年という期間では当てはまらない。毎期、毎期の業績をあげ、三ヵ月ないし半年単位で輸出想定レートを決めなければいけない企業にとっては、「購買力平価」説ほどではないにせよ、「夏炉冬扇(夏のコタツと冬のウチワ)」になりかねない解説なのだ。

一例を挙げれば、レーガン大統領が就任して以降のドル相場。財政収支と経常収支という米国の「双子の赤字」が拡大したにもかかわらず、財政赤字に由来する米国の高金利に引き寄せられる形で、米国に資本が流入しドルは全面高となった。八五年のプラザ合意でドル高是正に合意するまで、スーパー・ドルの是正は容易ではなかった。実は、八〇年代前半の為替相場の流れを決めていたのは、「経常収支」ではなく、米国への投資資金の流入という「資本収支」だったのである。九〇年代後半にも、よく似たドル高現象が起きた。「強いドルは米国の国益」というロバートールービン米財務長官(当時)の発言に引き寄せられるように、ドル相場は反転上昇した。

そのカラクリも、米国の情報技術(IT)バブルに引き寄せられた、主に欧州からの株式投資であり、直接投資である。かくして、九〇年代後半の米国は経常赤字が拡大基調となったにもかかわらず、海外からの資本流入に支えられたドル高が続いた。これまた為替相場の流れを決めていたのは、「経常収支」ではなく、米国へのマネーの流入という「資本収支」の要因だったのである。こうして、向こう一、二年という経営者や投資家にとって死活的な時間軸での為替相場の方向を決める要素として、「資本収支」の重要性が浮かび上がってくる。八〇年代以降、モノやサービスの流れに比べて、マネーの流れが膨らみ、九〇年代以降ともなると、マネー優位に拍車がかかってきていることを考えれば、「資本収支」説の説得力は増すであろう。

実は、国際収支をみるうえで、「資本収支」と「経常収支」の表裏の関係にある。両者が「同時決定」となるか、「経常収支が先決」か、はたまた「資本収支が先決」か、といった神学論争はエコノミストたちに任せておこう。実務家の立場からは、次のようにいえるだろう。まず、資本の流れが無視できるうちは、「経常黒字が生じると、手取りの外貨を海外で運用する必要が生じるので、同額の資本流出(資本収支赤字)が生まれる」という議論が十分成り立つ。しかし、現在のように資本収支の動きが経常収支を凌駕し、スピードも速い時代には、資本収支が悪戯を始める。「ある国への資本の流人が当該国の景気を加熱させ、輸入を急増させることで、経常赤字を拡大させるとか、逆に資本の急速な流出が景気を冷やし、輸入を縮小させることで、経常収支を黒字化させるなど、資本収支の動きが経常収支の動きを左右するといった事例」(日本銀行国際収支統計研究会『入門国際収支』東洋経済新報社)が、続出するようになったのだ。




2013年7月9日火曜日

過大評価の揺り戻し

五月十日、ECB、英国、スイス、カナダ、日本の各中央銀行は、米国の中央銀行である連邦準備理事会(FRB)との間で、ドル資金のスワップ(交換)取り決めを再度締結した。〇八年九月のリーマンーショック直後に、欧州や日本などの金融機関がドル資金の調達に支障を来した際に結ばれた協定であり、各中央銀行が自国通貨と引き換えにFRBからドルを借り入れ自国の銀行に貸し出す仕組みだ。今回も欧州系の銀行がドル資金不足に陥っているとみての措置といえる。五月十日に打ち出した一連の非常措置は、当局側かユーロ防衛のためには万策を繰り出すという意思を示したものだ。ギリシャなど南欧諸国も当面の流動性リスクを和らげることができ、財政立て直しなどの構造改革に乗り出す時間を買うことが可能となった。ならば、〇九年秋からの欧州金融動乱に幕が引かれたのだろうか。

残念ながら、そうは問屋が卸してくれない。ECBの国債買い取りなどを映してギリシャ国債の利回りは低下したものの、欧州の金融機関の資金調達コストを示すユーロ建てのLIBOR(ロンドン銀行間取引金利)はむしろ上昇し、外国為替市場では通貨ユーロがドルに対して一段安になっているからだ。これは欧州の金融機関の信用が回復せず、欧州全体に対する評価が下がっていることを意味する。ギリシャの抱える真の問題は資金繰り(リクイディティ)もさることながら、債務の返済能力(ソルベンシー)がなくなってしまっていることにあるのではないか。市場の懸念はここにある。そしてギリシヤなど南欧諸国が緊縮財政や構造改革をやり遂げることができるか、その能力にも疑問を拭えずにいる。

「債務の返済能力がない、つまり財政が破綻しているとすれば、金融支援よりも国債リストラ(元利払いの削減)が必要になる。その場合には、国債リストラの懸念が他のPIIGS諸国にも波及し、ユーロを不安定にさせる」。小川英治∴橋大学教授はそう指摘する。当然、国債を大量に保有する欧州金融機関のリスクも、強く意識されることになる。借り手ばかりでなく、欧州の貸し手も一蓮托生ではないか。ドイツやフランスの銀行のCDS取引の保証料が上昇したのは、こうした懸念を映している。もうひとつ市場が懸念しているのは、ギリシヤの惨状を目の当たりにした欧州諸国が、財政緊縮を競う余りに欧州経済が再び失速するリスクだ。そのリスクを認識するからこそ、欧州金融動乱を機に、世界の株式市場はがぜん荒れ模様となっているのだ。口蹄疫の大流行ではないが、危機の伝染への懸念が広まっているといってよい。

金融危機のコンテーション(伝染)。この言葉がはやったのは、一九九七年に始まったアジア通貨危機のときだ。当初、日本はきつい条件を付けない金融支援の実施を提案した。これに米国が猛反対し、「IMFコンセンサス」と呼ばれた緊縮財政と銀行整理を主張した。タイに始まった危機は韓国、インドネシアを襲い、アジアはマイナス成長に陥った。一方、二〇〇八年の世界金融危機。ときのブッシュ政権が公的資金を使った金融システム問題処理に二の足を踏み、リーマン・ブラザーズの破綻を招いた。世界的にお互いに投資資金の引き揚げが加速し、〇九年の世界はマイナス成長になった。先進国も新興国も一九三〇年型の大不況を防ごうと、財政と金融のエンジンを噴かし、〇九年半ばあたりから経済は上向きだした。そんななかで起きたのがギリシヤ危機だ。財政赤字こそ問題だとみた欧州はアジア危機のころのIMF型の緊縮財政を誓う。

一〇年五月以降に各国が打ち出した緊縮措置の規模は以下の通りだ。スペイン 名目GDP比で一〇年に〇・五%、一一年に一・五%。ポルトガル 同じく一〇年に一%、一一年に二・二%。イタリア 一一年と一二年に総額二百五十億ユーロ。初年度は百三十億ユーロ。ドイツ 一一年から一四年にかけて総額八百億ユーロ。初年度は百十二億ユーロ。英国 一四年度から一五年度までに千二百億ポンド。一一-二一年度に百五十一億ポンド。ユーロ圏全体としてみれば一〇年の景気刺激策の規模は名目GDP比で〇・九%。その景気刺激策のうち、一時的措置であるじDP比で〇・六%相当が一一年にははげ落ちると見込まれているが、「一連の緊縮措置で財政面からは一段の景気下押し圧力が働く」とみずほ総合研究所はみている。そんななか市場は極端な緊縮による実体経済の悪化を警戒し始めた。しかも自国通貨安による輸出拡大が可能だった当時のアジア諸国と違い、ユーロという単一通貨に閉じ込められた南欧諸国は通貨安という手段を封じられている。

2013年7月8日月曜日

節約は善という「常識」が国を貧しくする

一家の家計や一企業の常識を、そのまま国レベルの経済に当てはめようとすると、困ったことが起きる。あたかも、悪いめぐりあわせでそうなったかのように見えるが、マクロ経済学の視点からみれば、それは起こるべくして起きたに過ぎない。何か行うと、それがめぐりめぐって、それを打ち消すようなことが起きるというのが、マクロ経済学の「相対性理論」たるところなのである。デフレをみすみす悪化させてしまった要因には、その国民性も関係していたように思える。欧米であれば、不景気だろうがなんだろうが、自分の働きに対して、同じ代価を受け取るのは当然だと考える。ところが、日本人は、会社の経営が苦しいのなら、少しくらい賃金が減らされてもやむを得ないと考えてしまう。ところが、これがデフレを悪化させてしまうのだ。

また、日本には、昔から質素倹約を尊ぶ気風がある。たとえば先述の新井白石にしても、水増しした貨幣を正して、泥沼のデフレを招いたのだが、その評価は伝統的に高い。それも、庶民にではなく知識人の間で評価されてきた。日本の伝統的な価値観としては、贅沢に浪費する政府よりも、質素倹約を旨とする清貧な政府が好ましいと考えるのである。質素倹約を尊ぶ価値観は、ある部分では大切なものである。貯蓄を殖やし、資本を蓄積し、それによって投資が活発となり、中長期的に経済が成長するうえで大切な役割を果たしてきた。もしすべての人々が、宵越しの金は持たずで、有り金を全部はたいて、消費だけに明け暮れ、まったく貯蓄をしないとしたら、経済成長は起こらず、その日暮らしの生活が永久に続くだろう。

貯蓄することで、それが纏まって投資を生み、それがもっと大きな経済価値を生み出す基盤を作る。日本人が戦後の焼け跡から今日の繁栄を築くことができたのも、働いて得たものの何割かをせっせと蓄え、それが投資に回って経済の土台を拡大していったからである。しかし、国の経済が、いつも質素倹約にすればよいということにはならない。不景気な時に節約して財政支出を減らせば、もっと景気が悪くなってしまう。不況の時こそ大胆にお金を使って、景気がいいときに、財政を緊縮にすべきなのである。ところが、現実には逆のことをやってしまう。

明治以降も、今日に至るまで、日本には同じ価値観が根強く残っている。安達誠司氏が『脱デフレの歴史分析』において指摘しているように、日本では、松方正義や演口雄幸のような緊縮財政を敷いた人物が高く評価される風潮がある。特に日銀においてはいそうした傾向が強いという。だが、デフレ政策こそ、日本を破滅へと向かわせた前歴のある政策なのである。その間の状況を、同書を参考にしながらたどってみたい。演口雄幸内閣のときに起きた昭和恐慌は、大陸侵略から太平洋戦争へと至る日本の破滅的暴走の起点となったことで知られる。昭和恐慌はなぜ起きたのか。なぜ、日本は戦争へと突っ走ってしまったのか。そこには、やはり日本人の清貧の思想が災いした面が見えてくるのである。

当時の日本は、日清日露の二度の戦争に勝利し、世界の列強の仲間入りを果たしたものの、そのときの戦費を賄うために発行された莫大な外債が、日本の財政にのしかかっていた。第一次世界大戦によるバブル景気とその後の不況、さらに、関東大震災によって膨らんだ不良債権を抱えていたのである。その状況は、さながらバブル崩壊後の長引く不況、それに追い打ちをかけるように襲いかかった阪神・淡路大震災、不良債権問題に苦しむ九〇年代以降の日本の状況、あるいはまた、財政危機と不況の最中、東北地方太平洋沖地震に見舞われた今日の状況にもオーバーラップするかもしれない。

2013年7月6日土曜日

国自体がうつ病にかかった

私は、誰かを非難するためにこの本を書くのではない。起きてしまったことは、もう取り戻しようがない。重要なのは、これからどうするかである。今光が見えずに生き死にの狭間にいる人たちに、どうしたら希望を回復させられるかである。自殺という悲劇を防ぐことは、国民が幸福に暮らせる社会を築き直すことでもある。高度高齢化社会という試練の時代において、それをいかにすれば実現できるのかについても論じたいと思う。大恐慌の時よりもひどい状態が続いている。今や、うつ病として治療される患者は百万人を超え、潜在患者はその数倍とされる。一年間に処方される抗うつ薬の量は急増し、うつ病に費やされる医療費だけで、約三千億円、それをやや上回る金額が、うつ病がきっかけで給付対象となった生活保護費に使われている。にもかかわらず、自殺者の数は一向に減らず、三万人を超えた状況が続き、平成二十二(二〇一〇)年までで十三年連続となっている。

アメリカで起きたあの大恐慌の時にも、自殺者の数が急増したが、もっともひどかった年の自殺率でも、十万人につき十七人という割合であった。一九九八年以降、日本で見られている自殺率は、十万人につき二十五~二十七人という高さである(警察庁「自殺の概要資料」)。大恐慌後のアメリカの異常な状況よりも、六割近くも自殺者が多いという事態が十三年も続いていることになる。この十三年で四十万人以上の人が、自ら命を絶ったことになる。この数字は、全人口の2・6%が、いずれ自殺によって亡くなるという事態を意味している。三十八人に一人である。自殺がどれほど身近なものか、改めておわかりいただけるだろう。

その人には家族がいるわけであり、自殺によって家族を亡くした遺族は、深い痛手を終生抱えることになる。家族を自殺で失った人は、うつになるリスクが高く、自殺の危険にもさらされやすい。そこに負の連鎖が生まれてしまうのである。家族に限らず、一人が自殺すると、平均十人が深刻な影響を受けると言われている。心の傷が広がっていくのだ。もちろんどんな理想的な社会であれ、自殺を完全になくすことはできない。戦後、もっとも自殺者が少なかったのは一九六〇年代で、日本が高度経済成長に希望を膨らましていたころだ。その頃でも一万人程度の自殺者はいた。現在の三分の一の水準である。それは、まだ発展途上だった経済成長期の話であり、先進国には当てはまらないと思われるかもしれないが、先進国でも、イギリスやオランダでは、今日も戦後日本で一番自殺者が少なかった時代の自殺率にとどまっている。先進国の中でも、日本はもっとも自殺率が高い国となっている。

なぜ、こうした状況が続くのか。今後、社会の高齢化が進み、働く世代の負担がさらに重くなると、事態はさらに悪化することさえ懸念されるのである。日本は本当にダメなのか。こんなにも多くの人が自ら命を絶つということは、精神的に追い詰められている国民が、それだけ多いということである。まだ、実行に至っていないにしても、そうした思いが頭をかすめそうになった人も含めれば、はるかに多くの人が、死とすれすれのところで生きていると言えるだろう。確かに世の中の情勢を眺めると、暗いことばかりが目立つ。二〇一〇年十二月現在で、失業率は5%を超え、有効求人倍率は〇・五七倍台だ。国民所得は増えるどころか減り続けている。少し景気が良くなりかけたと思えば、円高がやってきて台なしにしてしまう。

心年金記録問題や医療崩壊といった問題が次々と起きて、本当に年金をもらえるのか、われわれの老後はどうなるのかと不安に駆られてしまう。高度高齢化社会になって、はたしてどんな老後が待っているのか。そのうえ、虐待や無残な犯罪、環境破壊、温暖化、異常気象と天変地異、資源の枯渇と国家間の軋棒など、見渡す限り前途が危ぶまれる材料ばかりだ。どう見ても、これからの時代は多難で、希望のない未来に思えてしまう。だが、同時に、精神科医の習性としては、視点を変えて考えたくなるのである。うつなどの治療に、しばしば使われる治療法に認知療法というものがある。認知療法では、その人が陥っている特有の認知のゆがみを見つけ出し、それを修正することで、病的な状態からの回復を手助けする。