2014年12月18日木曜日

ヒトラーによる「ユダヤ人狩り」

ロシア人の場合は、このヴィッチないしイチを父親の個人名にっけて、自分の個人名と姓とのあいだにはさむのが一般的だ。たとえば作曲家ピョートルーイリイチーチャイコフスキーの名は、チャイコフスキー家のイリヤの息子ピョートルをあらわす。ちなみに父は、イリヤ・ペトローヴィッチなので、チャイコフスキーの祖父の名はやはりピョートル(ペトロ)だったことが分かる。

ロシア人の姓は、ゴルバチョフのオフ、プーシキンのインなどでも見分けられる。ちなみに、インで連想されるレーニン、スターリンはどちらも変名で、本姓はそれぞれ、ウリヤーノフとジュガシヴィリという。スターリンは「鋼鉄の人」を意味するペンネームが通称となったものだ。先でとりあげたアルメニア人も、父系の姓をもっという点て、やはりゲルマン系やスラブ系の民族と変わらない。アルメニア人で「……の息子」を示すのは、イアンやヤッである。例として、日本でもロッキード事件という不名誉な話題で有名になったコーチャン、『剣の舞』の作曲家ハチャトゥリアンがあげられる。

ハチャトゥリアンは、アルメニア共和国国歌の作曲者でもある。二〇世紀を代表する指揮者カラヤンは、自身はオーストリア人であると主張し、また一般にはマケドニア系と思われているが、その姓はアルメニア人の末裔であることを物語っている。ビザンチン帝国下にマケドニアに移住し、商人として財を成したのち貴族にまでなったアルメニア人は少なくなく、カラヤン家の祖先も、おそらくその典型と考えられる(『新アルメニア史』佐藤信夫)。

アラブのイスラム教徒も、ロシア人のように父親の名前を個人名と姓のあいだにはさむが、アブー・バクル(正統カリフ)といえば「バクルの父」、ウンム~とあれば、「~の母」となる。民族独特の姓というのであれば、やはりユダヤ人に触れないわけにはいかない。いわゆるヒトラーによる「ユダヤ人狩り」では、姓による選別もおこなわれた。

スターンやスタインがつく姓が多く、バイオリニストのアイザックースターン、指揮者バーンスタイン(ユダヤ系ドイツ人)は有名である。とくにバーンスタインは、ウクライナ北西部のユダヤ人ゲットー(強制隔離施設)のあったバーンズティーンに由来するもので、差別、偏見が激しかった一時期、彼はアングロ風のレニー・アンバーという偽名を使っていた。

2014年11月18日火曜日

グローバルな活動下での司法戦略

日本人が司法サービスを外国に取られ、時に外国で叩きのめされる。そこで日本で裁判を起こしても、仇討ちを果たすどころか、被告に有利なシステムではなかなか勝てず返り討ちにあうというのでは、結局のところバランスを失するだけでしょう。

これからは、日本の事件は日本の裁判所で十分な満足が得られる形で解決できるようにしなければ、グローバルな活動の中で日本の利益を守ることさえもできません。今までも、日本の裁判制度と欧米のそれとの違いが、日米のビジネスの違いともなって現れていました。その一つの例が、知的財産権を重視したアメリカのビジネスのおり方です。

そこには、「どういう手続なら国民にとってメリットがあるか」という視点からの、国家としてのアメリカのCが垣間見られます。ビジネスモデル特許というのが話題にな。つています。特許とはそもそも、発明を保護するために与えられるもので、今までは、例えば新たに開発された化学薬品など、目に見える物体・物質であったわけです。

ところが、「ビジネスモデル」とか「ビジネス方法」というのは、別に化学物質でもなければ物体でもないけれども、そういうものを考え出した者は偉いから、その発明に報いてやる必要かおるという話になります。特許権は知的財産権の一種で、知的財産権には著作権なども含まれます。そこで、著作権侵害の問題だとイメージが持ちやすいと思いますので、著作権を例に話をすすめることにしました。

2014年10月17日金曜日

「古都税」の導入が検討

日本では地方税法により、各地方政府の課税自主権が認められていないが、法定外普通税という形でごく例外的に自主権を発揮することができる。しかしこれとて新設・変更にあたり自治大臣の許可制なので、地方政府が百パーセント勝手に振る舞えるというものではない。

京都や奈良のように、寺や神社など歴史的遺産があり年中観光客でにぎわう都市には、ゴミ処理、交通整理など様々な財政需要が発生する。このコストを応益説にもとづき、その地域以外からくる観光客に負担してもらうため、お寺などの拝観料、入場料に税金を課するのも一つの方法であろう。

一時期、京都で「古都税」の導入が検討されたが、寺社側の猛反対で陽の目をみなかった経緯がある。この系統に属するものとして、‐現在文化観光施設税が日光市と松島町で課されている。

同じように、別荘、ヨットなどは、ある地域にはしばしば迷惑を与え、その処理にコストを要することがある。その地域に居住しない所有者が、その地域のインフラを無料で使用するだけでなく、管理・維持に伴い地元の住民の負担を強いるのは筋違いともいえよう。

かかる視点から、熱海市が別荘等所有税をもっている。また一時期、三浦町でヨット・モーターボート税を課したことがあるが、徴税が十分に行えず挫折した経緯もある。いずれにしろ、これらは国税にない一味も二味もちがう税金で、地域の税負担と財政需要のあり方を考えさせてくれる。

2014年9月17日水曜日

武器になる資格とは何か

まず自分の本質的能力を見つめ直すことが重要だ。小手先の技術をいったん忘れて、これまでの仕事で自分にどのような能力が培われたのか、そして、そのなかでももっとも強力なものは何なのか、まずそれを知ることである。その本質的な能力こそ、先で述べた「勝ち組SE」の「価値」なのだから。

自己の本質的能力さえ知ることができれば、あとは履歴書や職務経歴書でいかにその能力をアピールするかである。遠慮することはない。持てる最大限の表現力を駆使して、自信のある能力は多少過度なほどのすごみでアピールしてほしい。そうすれば、きっと企業側の採用担当者の目にとまることだろう。

転職を成功させるにあたって、資格はないよりはあったほうがよいという以上のものではない。資格にもよるが、けっして資格が多いから有利になるとは限らない。それにはいくつか理由がある。

まず、資格を得るには勉強する時間と労力が必要である。一見したところ、資格を取得したということは、忙しい業務のあいだを縫って勉強し、休日も勉強に費やした結果であるとして、その熱意が評価されると思うかもしれない。しかし、逆の穿った見方もある。業務はおざなりで、勉強にばかり身を入れていたのではないか、と思われるかもしれないのである。

実際、このようなタイプのSEは存在する。キャリアアップのため資格取得を最優先し、仕事は二の次というタイプである。わたしの以前の職場にもこのタイプがいた。もちろん、寝る間も惜しんで勉強した結果、むずかしい資格を取得した尊敬すべき人もいる。これは本人の業務における実績との対比になるので、一概には言えないのだが、裏腹の見方があることも知っておいて損はない。

さらにIT関連の資格というものは、ある特定の製品や技術と結びついていることが多い。たとえば、マイクロソフトやオラクルの認定資格などがそうである。これらは、製品が主流であるうちはよいが、非主流に落ち込んだ場合、資格の価値も下がる。つまり、普遍的な価値はそれほど高くない資格なのである。普通自動車免許のように免許さえいったん取得してしまえば、どのようなメーカーであれ、排気量であれ、デザインやスタイルであれ、普通自動車なら違和感なく乗りこなせるような汎用的な資格ではないのだ。製品が変わってしまえば通用しなくなるタイプの資格なのだから、さほど大きな武器にはなりえないのである。

2014年8月22日金曜日

批判浴びる格付け会社

保険会社の財務監督局は州政府単位で、国内外で事業を展開するAIGの経営やリスク管理を一元的に日々ウォッチする組織が米国には存在しなかった。AIGはワシントンへのロビイングに強く、米政府が本格的にCDSを監督することに反対していた。「私だったらコックス委員長の首をすげ替える」。大統領選が白熱していた○八年十月、マケイン大統領候補がSECのクリストファー・コックス委員長を批判した。コックス委員長は元議員で共和党員。共和党の大統領候補が選挙中に同僚を批判するのは異例のことだ。

ただでさえ、コックス委員長は、○八年三月にベアー・スターンズが破綻の危機に陥ったときには誕生日パーティーに出席するなどして、大切な会議に相次いで欠席。「市場の守護者」として落第点を付けられていた。だが、マケイン候補が怒っていた本当の理由は、コックス委員長が規制緩和をうたうあまりにサブプライムローン問題を見過ごした点にある。規制の枠外にあったのは、CDSなどハイテク金融商品だけではない。格付け会社など業界全体が抜け落ちていた例もあった。米下院の監視・政府改革委員会は十月二十二日、金融危機における格付けの役割に関する公聴会を開催した。証人として登場したムーディーズーインベスターズーサービスやスタンダードーアンドープアーズ(S&P)など格付け会社トップに対して「(格付け手数料を得るという)商業目的が格付け業務に優先したのでは」と批判が集中した。

今回の金融危機は、住宅ローンなどを担保にした債務担保証券(CDO)などの証券化商品の価格急落が引き金を引いた。こうした商品にムーディーズ、S&Pなどの大手格付け会社がトリプルAの高格付けを与えていた。公聴会に提出された資料では、格付け付与を目的に発行体に甘めの格付けを付与するように示唆した格付け会社幹部のeメールもあった。日本事業の責任者によるeメールも提出されており、格付けの「引き受け競争」が世界的に展開されていた事実も明らかになった。

「ちゃんとした実績をあげていなかったのは事実。何とかしないといけませんね」。オバマ新大統領の参謀を務める、ポールーボルカ上几FRB議長も同じ問題意識。今回の金融危機における格付け会社の役割を批判する。ボルカー元議長を長とする政策委員会「G30」は、金融監督体制の刷新を求める報告書を検討している。その中には格付け会社に対する監督強化が含まれるという。一方で、証券化ビジネスは格付け会社の収益源だ。発行一回当たりの格付け代は十万-二十万ドル、CDOなどでは三十万ドルを超えるという。米格付け会社は単純な利ざやが薄い事業会社向けでなく証券化部門をこの十年間強化し、証券化部門が出世コースだった。ムーディーズではデータの誤りを修正しないまま、証券化商品に高格付けを与え続けた例が明らかになったが、これは「商売」を優先したためだ。

「過去に米政府が格付け会社の監督を強化しようとしたところ、格付け会社は『言論の自由』を主張して、監督反対のロビイングを米議会で展開した」とハービー・ゴールドシュミット元SEC委員は格付け会社を批判する。格付け会社は発行体や証券化商品を組成する投資銀行に格付け付与者として選ばれない限り、報酬を得ることができなかったため、安易に格付けを与える傾向があったとされる。このため、発行体がなるべく高い格付けを与えてくれる格付け会社を選ぶ「レーティッグーショッピング」という業界慣行があった。ウォール街にとっても証券化ビジネスは金の成る木で、格付け会社を支持した。

2014年7月25日金曜日

固定相場制時代のIMF

ヨーロッパ通貨間の相対関係を固定化し、通貨の変動による経済調整を回避する仕組み、かEMSである。ERM(為替相場機構)と呼ばれる為替レートの安定機構は基準為替レートに対してプラスーマイナスニ・二五%の範囲内(イタリアーリラ、スペイソーペセクなどは六%)で維持し、非EMS国の通貨に対しては共同でフロートとすることとしている。

この範囲を守るために参加国は相手国通貨で介入を行うこととし、この資金は相手国の中央銀行が無制限に供給する。この貸借はECU(ヨーロッパ通貨単位一参加国の通貨を合成して作られた通貨単位)建てでFECOM(ヨーロイ{通貨協力基金}における債権債務となる。固定相場制時代のIMFが行ってきた介入のための短期の資金の貸付と同様の機能を持つことになる。

当然のこととして、各国中央銀行間の金融政策は回調して運営されなげればならない。すなわち、為替レートが固定化されれば、インフレ国は経常収支が赤字になり、不均衡を生じる。そこで、これを避けるためには、各国は金融政策を通貨価値の安定している国に合わさざるをえなくなる。実際、EU各国の中央銀行は緊密な連絡のなか、協調的な金融政策を行っている。そうなれば慎重な経済運営を行っている国(ドイツ)が存在する限り、マルクが他の通貨をリードしてヨーロッパ各国の経済をも安定させることになる。ただ、ドイツ統一以降、インフレ率が高くなり、時として一方的な金融引締めを行い、これがヨーロッパ通貨間の調整を引き起こすなど不安要因にはなっている。

すなわち、IMF体制のヨーロッパ版がマルクを中心に形成されたのである。そして、ヨーロッパの最終的な通貨体制としてはトロール報告四小されているように、単一の中央銀行によって制御される単一通貨をめざしている。そして、一九九三年に発効したマーストリヒト条約では、九九年までに通貨統合を行うこととされた。これは政治経済両面でのヨーロッパ統合の大きな柱であると認識されている。

このヨーロッパ通貨体制は、域内に対しては固定相場制、域外に対しては変動相場制になるわけであり、少なくともヨーロッパ間での為替変動による経済不安定は除去され、この間では貿易・資本の為替リスクがなくなり、自由な移動を促進して広域経済圏を形成することになる。マルクがヨーロッパ通貨安定に大きく寄与し、EMSがある程度成功したことは事実として新しい通貨圏の形成となっている。さらに、ヨーロッパの資本市場はECU建ての起債が拡大し、ドルはより小さな位置に追いやられることになっている。

2014年7月11日金曜日

経常収支黒字対策はあるのか

すなわち、先に述べたように、経常収支とは国民の経済活動の成果を海外部門へ投資した、すなわち、資産運用を行った結果にすぎない。しかし、問題はこれが為替相場に大きな影響を与えることである。小宮理論によれば経常収支黒字を縮小させるような政策を行う必要はないことになる。しかし、日本とアメリカとの摩擦はできる限り避げるのが日本の生き方として適当であることは間違いのないことである。

先に述べたように、資本取引の効果を無視すれば、基本的には経常収支は為替レートで自動的に調整されればよいことになる。経常収支黒字であれば、為替レートが高くなるのは自然であり、そうなればドル建ての輸出価格が上昇して輸出が減少する。また、円高になれば円建ての輸入品の価格が低下するので、輸入が増えるはずである。変動為替相場制度に移行したときには、為替レートが経常収支を調整して自然に安定することが期待されていた。

しかしながら、これだけ円高になっても経常収支黒字は減少してこなかった。むしろ、拡大した時もある。これは円高で輸出価格が上昇し、仮に数量ペースで輸出が減少しても、ドル建てで測れば金額ペースでは拡大してしまい、統計上の経常収支黒字は拡大することをいう。

しかし、これはやがて数量ベースの減少効果のほうが拡大して、経常収支黒字は減少に転じるという期待があった、かってポンドの切下げが議論された時に、為替レートが切り下がると経常収支赤字幅は一旦、拡大し、その後縮小する、との指摘であった。このために経常収支の時系列的な変化を示すとアルファペットのJの形のように一且下がって上がるので、Jカーブ効果と呼ばれた。しかしながら、現実に円高は経常収支黒字減少を導くどころかさらに黒字を拡大させている。Jカーブにしては、長すぎる。

一方、貯蓄投資バランスの議論からすれば、国内の貯蓄超過が経常収支黒字の原因であるので、国内の貯蓄を減らすか、投資を増やせばよいことになる。政府の貯蓄が多いというのであれば減税を行えばよい。民間での投資が不足するのであれば、政府の投資、すなわち、公共投資の拡大を行えばよいことになる。しかし、現実は公共投資さえすれば黒字が減るというのは経験からは支持されず、そのように簡単にはいかない。

2014年6月26日木曜日

雲南地区の戦い

先月の末、九州の大村と福岡へ行って来た。一九八一年(昭和五十六年)以来、私は、私の戦争長篇小説三部作と称して、龍兵団、勇兵団、菊兵団の、中国雲南省、北ビルマの戦いを扱った小説を書き、今年二月に連載を終えた。そのための最後の取材旅行に行って来た。連載が終わった後に取材旅行に行ったというのは、自分の書いたものが間違っていないかどうか確かめたかったからである。間違いがあれば、直して単行本にしなければならない。架空の部隊や架空の戦場を書いたのではない、どこで、どこの部隊が、どんな戦闘をしたか、戦史として読む読者にも応えなければならない。

その日、その時間、その場所での戦闘は、一つしかない。その部隊は決まっており、その隊の指揮官は明らかである。中隊長、人隊長、師団長、軍司令官、それぞれ、明らかである。一人しかいない明らかな人を架空の人物としては書けない。パロディにすれば、乃木大将であれ東条大将であれ、実物をどんな人物にでも変えられようが、私にパロディを書く気はない。

小説だから架空の人物を登場させたいが、架空ではない戦争を扱った小説では、無名の下級兵士でなければ、架空の人物は登場させられない。だからというより、私は下級兵士の立場で戦争を語りたいので、私の戦争小説の主人公は、いつもド級兵士である。私は、中国雲南省で全滅した騰越守備隊を扱ったものを「断作戦」と題して第一部とし、同じ雲南省の龍陵の攻防を書いた「龍陵会戦」を第二部としたが、「断作戦」と「龍陵会戦」とは、連載を始めて完結するまで、合わせて四年半ぐらいしかかかっていない。ところが、第三部の「フーコン戦記」を書き終えるのに、それから十三年半かかった。

私は、雲南地区の戦いには参加しているので、二部までは書きやすかったのであろう。北ビルマのフーコンには行っていないので、推理や創造で書かなければならない部分が、より多く、それで手間どったのだろう。本や写真を集め、生還者の手記を読み、話を聴いても、書くことに自信を失いがちで、だから、推理や想像の当否を確かめに、連載が終わってからも、話を聞きに行ったりするのである。

だからといって、雲南だけで戦争長篇を終えることはできなかった。ビルマの戦い、というと、インパールばかりが大きく報じられているが、昭和十九年、日本軍はそれだけの戦力もないのに、インパールの占領を夢想し、米英支連合軍は、インパールでは日本軍の自滅を予見し、雲南、フーコンをビルマ反攻の主戦場とした。日本軍には戦力もない上に、その連合軍の意図に対応する知恵もなかった。ところで、龍は第五十六師団、勇は第二師団、菊は第十八師団の防諜号である。防諜のためだといって旧軍隊には、そのような呼称がついていて、老人たちは懐かしさを感じながらも今も口にしている。たが、若者たちはこんな言葉を聞くと、むしろ、あの戦争が遠くなるのではないか。

2014年6月12日木曜日

現実感覚の意味

抽象と経験との間を往復するといっても、この作業はそう簡単に行えるものではない。われわれの日常の判断でも、個々の事実だけを追い回して、広い一般的な視野を持つことができない場合もある。逆に抽象的なイデオロギーにしがみついて、全く現実感覚を失ってしまう場合もある。ここでは私の苦い経験を紹介することによって実例とすることにしよう。

一九五九年六月、私は雑誌「思想」に、「平和運動の頂点と底辺」という論文を書いた。それは「組織問題」の特集であった。この表題から想像していただけるように、その論文で私は平和運動の頂点、つまり政党や組合の指導部を、底辺つまり下部の運動の立場に立って、批判しようとしたのだった。あの頃、日本の平和運動に積極的に関係していた私は、運動の頂点の指導が生ぬるいと考えていた。底辺のエネルギーを、常に頂点がはぐらかすために、運動は混乱し失敗を重ねていると考えていた。そこで私は底辺の子不ルギーを示すつもりで、原稿の締切りギリギリまで駆けまわって、具体的な事例を取材した。地域の平和運動の例も調べた。職場における運動も調べた。基地反対運動の例もあげたし、その頃始まりかけていた、安保反対運動の実例もあげた。

しかし方法論の立場から言えば、あのとき私は無数の経験を組織する、理論的枠組のことを忘れていた。現在の私だったら社会学の「集合行動」の理論を、使ってみたかもしれない。あるいは大衆運動が官僚化するという、ミヘルスの寡頭制理論を、使用したかもしれない。あるいは一九六〇年前後の日本における政治的条件を踏まえた仮説を、作ることもできただろう。しかし一九五九年の時点にかえると、私は全く異なる観点から運動を見ていた。私は性急に自分の論文によって、現実を動かすことだけを考えていた。

考えてみれば運動の過程で私がつき合うようになったマルクス主義者の友人たちは、革命の必然性を説く理論に安住して、運動についての危機感など、あまり持っていなかったのかもしれない。それに対して一度もマルクス主義を信じたことのなかった私は、運動の失敗と混乱に腹を立てていたのだと思う。しかもマルクス主義に代わる、理論も方法も持ち合わせがなかったので、私はやたらに底辺を駆けずり回っていたのだと思う。言ってみればあれは、地面をはいずり回る経験主義の実例だったのだ。こうしてできた論文は、理論的枠組のないルポルタージュの、寄せ集めのようなものになった。

2014年5月23日金曜日

日本の援助理念は明確

実際になしうることは、援助行政における環境アセスメントの徹底であり、このアセスメントをもって開発途上国からの援助要請に対応するための、なんらかの国際的合意をつくりだす努力であろう。地球環境問題への関心の高まりとともに、日本でもOECFならびにJICAが「環境配慮」のためのガイドラインをすでに設定しており、そのための組織的対応も遅ればせながら整いつつある。無償資金協力によりタイと中国で「環境保全センター」が建設されている。援助への具体的な取り組みのなかで環境破壊を抑止するという意思を貫いていくためには、そうした努力を地道につみ重ねていく
よりほかに方法はない。

高まりつつある援助批判のもうひとつの大きな流れは、日本の援助には理念がなく、無定見に大量の援助をばらまいているだけであり、そのために高い効果を期待できず、それゆえにまた受入れ国との友好関係を築くこともできない、というものである。援助の理念をどう設定するか、これも日本の援助史とともに古いテーマである。もっとも、日本経済のさしせまった課題が輸出の促進にあり、資源の確保にあった時代においては、援助がそうした課題になにがしかの貢献をなし、少なくとも援助は「得にはならないまでも損にはなっていない」といった感じが底流にあったためであろう、援助の理念がそれほど表だって議論されることはなかった。

しかし、日本の援助額が世界最大の規模になり、それにともない最貧国や債務累積国への援助量をも増加せざるをえず、さらにポスト冷戦期のロシア、東欧への支援や湾岸戦争後の中東支援までをも求められる時代にいたって、みずからの援助行動を説明する理念が求められるようになってきたのであろう。日本の援助が、国際社会で生起する多様にして複雑な課題に対処しなければならない時代に踏みこんで、なお理念が不安定では、「身のおきどころがない」といった感覚が生まれてきたのにちがいない。無理からぬことではある。

とはいえ、衆知を集めて「理念」を設定し、これを声高に主張することがいいとは私には思われない。理念は、日本の援助の具体的な展開のなかにおのずとあらわれる、というものでなければならないと思う。そう考えて日本の援助のこし方をみすえてみれば、確たる理念が存在してきたことがわかる。当り前の話である。自国と開発途上国との長期的関係を見通して、みずからのもてる援助資源を最大限有効に用いようと長年の努力をつづけてきたのであれば、そこになんらかの理念を潜ませてこなかったはずはないではないか。アメリカやフランスの援助理念が明瞭であるのと同様、日本のそれも明瞭なのである。そしておいおい説明するように、これまで受け継がれてきたその理念の基本は、将来にわたって保持されねばならない、というのが私の考え方である。

2014年5月3日土曜日

きれいごとのごまかし言葉

国民福祉税というのが、突然、飛び出してきた。連立与党を維持するためには、主義主張の違いはさしおいても同調しなければならない、と言って、細川首相のイエスマンみたいになっていたかつてのなんでも反対党の日本社会党が、久しぶりにバンダイしているようである。そうだとも、主義主張をさしおく政党などというものは、政党とは言えない。数でしかない。

しかし、今までは期待していたが、今回思わぬことを言ったのでがっかりした、というのではない。やっぱり、という感じである。ところが、細川首相の支持率はきわめて高いようだ。これはどういうことなのだろうか。福祉税などというのは、きれいごとでごまかしごとである。

私には、この、きれいごとが、わが国には多遡ぎるように思える。政治家だけではなく、目本人というのは、ごまかし逃げこむ習性の強い民族なのではあるまいか。ごまかしや逃げこみを、人から完全に払拭してしまうことはできないし、その必要もない、と私は思っている。嘘も方便であることが実生活にはあるだろうし、逃避も、人はそれから脱しきることのできない生き物なのだから、ある妥協や許容はあって当然と私は思っている。

人を見下したり差別したりする心を持っていない人でも、たとえばめくらという言葉は、マスコミでは使えない。せむしはどうなのだろうか。ユーゴーの名作に「ノートルダムのせむし男」というのがあるが、あれは、「ノートルダムの背骨不令の男」とかなんとか言わなければならないのだろうか。敗戦を終戦と片うぐらいのごまかしには、私は、そうは抵抗を感じないが、全滅を玉砕と言うのは、ちときれいごとに作り過ぎているように思える。侵略を進入と言わなくてもいい。

しかし、なんといってもひどいのは政治家のワンパターンのごまかしである。どうせだますなら派手にだまして、というが、政治家の言葉は、口本語を侮辱するばかりで、うんざりする。粛々と、だとか、燃焼し尽くして、だとか、十分にギロンをいただいて、だとか、あの口先だけで中味のない政治家の慣川語。人気抜群の細川首相は、いいマフラーは選べても、いい日本語は選べない人ではないかと、福祉税などと聞くと、思ってしまう。消費税は消費税と言いなさい。

2014年4月17日木曜日

局地経済圏

ここしばらくのあいだになされた新規の日本・NIESの対ASEAN投資はいずれもアウトソーシング型が中心であり、それゆえASEAN諸国の輸出拡大に果たした日本・NIES企業の貢献にはきわめて大きいものがあったといわねばならない。日本・NIES企業のアウトソーシング志向を反映して、対日輸出と同時に対NIES輸出が急増し、そのことによってNIESHASEAN間の貿易関係がこのところ急速に緊密化していることが注目されねばならない。ASEAN諸国の対日・対NIES輸出の拡大の背後に、日本やNIESの企業の対ASEAN進出があったことは明らかである。

ところで、東アジアにおけるこの構造転換連鎖の波は、アジア社仝主義国におよんでいく可能性はあるのか。その可能性は大であろう。アジアにおける冷戦構造の「溶解」を契機に、アジア社会主義国と、それを取りまく東アジア諸国とのあいたに潜在してきた補完関係がにわかに顕在化し、これが今日の東アジアにおけるきわめてアクティブな市場単位になろうとしている。この市場単位を私は「局地経済圏」と名づける。

台湾と中国福建省を取り結ぶ「海峡経済圏」、韓国西海岸と山東省から構成される「環黄海経済圏」、香港化の道を急速に歩む広東省を中核にした「華南経済圏」、タイがインドシナ三国と取り結ぶ「パーツ経済圏」などが、アジアの経済地図をぬりかえる新しい主役として登場してきた。吉林省と北朝鮮との国境を流れる豆満江の河口部に集う、ナホトカーウラジオストクーボシェット(旧ッ連)、延吉・璋春(吉林省)、羅津・先鋒・清津(北朝鮮)の諸都市を含んだ「図椚江経済圏」、さらにその外縁を大きく取り囲む「環日本海経済圏」の構想も見え隠れしてきた。

ここでの関心は主として中国である。中国と周辺NIESが取り結ぶ局地経済圏が今日相当の密度で形成されており、この局地経済圏が東アジアのダイナミズムを中国に伝播させるきわめて重要な「媒体」として機能していると私はみる。中国をめぐる局地経済圏形成の主役は、なによりも香港、台湾、韓国などのNIESである。NIESは、中国の沿岸省市と密度の濃い経済的連携を形成し、後者を東アジアに引きだしていく最も強い活力を擁するグループにほかならない。