2012年12月25日火曜日

米はお産と大変密接に関係している

動物性タンパク質を多く含か肉や魚、それにビタミンに富か野菜などを、私の知識を駆使してせっせと食べたのだが、あまり効果があったようには思われなかった。実ほから、「私らは何にもたいした物を食べたわけじゃないのに、しぼって棄てるほど出だのに。あんたの飲まそうとする努力が足りんのじゃ」などと非難されるし、次女はミルクを飲まそうとすると歯を食いしばって絶対に飲まないし……で、あの時は本当にせつなかった。私の身体は女性として劣っているんじゃないかなどと、自信を失くしたりもした。

どうも思い起こして総合してみると、あんまり栄養だとか何だとか気にしないで、どちらかといえば実だくさんの味噌汁などを毎日、上に食べていた人たちの方が、よくけ乳が出ていたように思う。最近乳房マ。サージで注目されている桶谷式の乳指導でも、あまり動物性脂肪は摂らないようにと指導しているというから、米などのでんぶん質系統と野菜類を主とした味噌汁という栄養学的にみれば至極単純すぎて問題のある取り合わせの方が、案外、効果があるのではないかと私は結論づけている。これなども、教科書通りの栄養理論のみでは片づけられない人体の生理の不思議というべきかもしれない。

ただし母乳の生産量の多い人少ない人という体質の問題があるかもしれないしヽ食品や環境の汚染の問題もあり、産婦自身がストレスなどにより体力を落としていることも考えられるから一概には言えない。しかし母乳量を増やしたいと切望している人は、一度試してみる価値はありそうだ。このように、お産の始まりから産有期にかけて、米はお産と大変密接に関係している(日本全国に類似の風習が広くみられる)。私の調査した地方は非常に米の収穫の少ない、または皆無の地であり、日常の主食は芋、とうもろこし、麦飯(米二・五合、丸麦一升)であったことを考えれば、人々は白米飯など、米には特別な思い入れがあり、貴重なものと考えていたであろう。そういう点から推察すると、伝統的な社会においては、お産は非常な特別待遇を与えられるほどの重要なものと解されていたことがわかる。


「ヒマヤ」、「サンヤ」、「デーベヤ」瀬戸内の島々や沿岸部には、「ヒマヤ」とか「サンヤ」という風習もあった。「ヒマヤ」には暇屋(西条市、西ノ川、T家)、秘魔小屋(大三島、F家)などの字があてられた。近在一といわれるような大きな家の庭の一隅に建てられていて、T家のはご了三平方メートルくらいの広さで、真ん中にいろりの切ってある一部屋の一戸建てであったし、F家のはそれより少し広いと思われたが、同じたたずまいで、内部は土間と畳の間にわかれていた。なお内部は改造されていたので、くわしくはわからなかった。

これらの小屋で、一家の女性たちは月経時や産獅期を過ごした。T家では一度だけ出産もここで行なわれた。またF家では、二〇世紀の初頭まで実際に使われていたそうだ。別家など建てられない庶民で、それでも女性の生理などについての仏教の不浄の教えを厳格に守る家において、古い時代には女性たちはそのような時、戸外の軒下にむしろを敷いて生活したし、少し近年になると家の中の土間にむしろを敷いて暮らすことが許され、やっと、「昭和の初め頃には家の者と同じ所で暮らして食べ物だけ別火にした」(上須戒のKさん、A氏の妻ともに一九二〇年代に初産)。そこでの暮らしは、さみしいし、つらいものだったという。


2012年9月26日水曜日

企業の経営効率を高めて利潤をふやす

これらも「冷たさ」「昧気なさ」「単純化と画一化」を実感させることになりました。このような状況を社会学では「大衆社会化」と呼んでいますが日本でもヨーロッパやアメリカのあとを追ってゆきました。ヨーロッパやアメリカで文化や文化経済学が盛んに議論されるようになったのは一九六〇年代後半以降であるといわれています。日本社会も約一〇年遅れて「文化の時代」へと進みつつあったのです。

最近の企業の求人広告やパンフレットには音楽家、芸術家などのメッセージが写真とともに登場する機会が多くなりました。アメリカ企業や日本企業でも「効率第▽王義ではいい人材は集らない。」という意見が多くみられるようになりつつあります。この背景にはいくつかの要因がありますが、情報技術の導入によって、効率やビジネスの考え方に大きな変化がおこりつつあるためだ、というのが定説になっています。

かつては企業の経営効率を高めて利潤をふやそうとしますと、経営者は大規模な設備を投資して大量の製品を供給し製品単位=コストを下げ、市場での競争力を高めることに主眼を置いていました。市場で財を購入する消費者は製品の一定量がどれだけ安く買えるかに大きな関心をもっていて、代替品が登場してきて製品の質が急激に変化するなどということは予想していなかったのです。このような経営の方法を「規模の経済の追求」と言います。

しかし情報技術が進歩してきて、電話、ファックス、POSシステム、コンピュータによる情報処理やデータベースの構築が進んでくると、消費者の好みや需要の変化を電気通信システムによって企業に伝達し、企業が情報技術を応用した柔軟な生産体制によって、コンピュータのプログラムを変更しさえすれば簡単にデザインや部品の組合せを変えて消費者の多様な需要に応える多様な製品を短い時間で供給できるようになってきます。

そうしますと消費者の動向や生産技術の動向を他社よりも速く手にいれてより速く経営組織を対応させることが必要になってきます。「変化に有効に対応しうる経営」をもたらしてくれるのは誰でしょうか。それは消費者の需要の変化や新しい経営の手法の変化や情報技術のもたらす生産方法の変化に敏感で、いくつかの情報をコーディネイトして新しい経営の方法を絶えず考え、提案し、実行してくれる人材です。

2012年8月9日木曜日

金融庁人事の独立性

独立性で言えば、金融庁の人事についてもいえる。一見、金融庁側は人事面でも「大蔵省の植民地」から脱皮しつつあるように見える。たとえば、二〇〇〇年七月の金融庁幹部人事では、九八年四月に民間金融機関からの接待を理由に処分された官僚のうち、国家公務員法上の懲戒処分を受けた三二人については金融庁に受け入れられなかった。

大蔵省側が金融庁の次長として送り込もうとしていた福田誠前金融企画局長(六八年入省、東人法)が、この規制のため金融庁に移れず、退官を余儀なくされた。また、金融行政のプロと目されていた何人かの官僚も金融庁に移れなかった。

このほか、大蔵省のライバルである通産省の前課長を金融庁の監督部証券課長に受け入れたのをはじめ、農水、郵政、外務省や経済企画庁などから課長補佐、係長級の人材を多く受け入れた。「大蔵色」をある程度は薄めたのである。

しかし、大蔵省との人事交流を遮断する「ノーリターンールール」が適用されるのは、部長以上に限られる。つまり、課長級までは行き来自由であり、本省人事の一環として人事勧告を行えるのである。実際、課長クラスはほとんどが大蔵省からの出向組で占められている。リターンで金融庁に出向してくる部長級以上の幹部も、これまでは全員が入試出身組であり、その事情は当分は変わらないだろう。

旧金融監督庁が九九年度から採用を始めた一期生のキャリア官僚が幹部クラスに育つまで、人事面での「大蔵植民地」の状態は続かざるを得ない。また、金融庁の総勢は七三〇人、そのうち検査官は三百十数人にすぎず、米国に比べて一ケタ少ない。しかも、金融庁は地方にまったく手足を持たない。このため、地方の金融機関の検査・監督については大蔵省の地方財務局に頼るしかないのである。

このほか、金融危機管理・金融破綻処理の企画立案については依然として大蔵省(財務省)との共管になる。そのため、大蔵省の大臣官房には信用機構課という組織が残る。「財政・金融分離」が不完全だという批判かおるのは、こうした状況があるからだ。

共管といっても、金融庁が主で大蔵省は従だが、必ずしもこれを額面どおりには受け取れない。なぜなら、破綻処理はもちろん、危機管理でも巨額の財政支出を伴う。その場合、財政を握っている大蔵省が事実ヒの主導権を握る可能性が強いのである。

2012年7月25日水曜日

増える問題行動に「力で指導」の迷い。

クレーム恐れ教師萎縮、一方で体罰減らず

熊本県の小学校で起きた「体罰」をめぐり最高裁は4月、一定の力の行使を指導として認めた。文部科学省は体罰を禁止しながらも、問題行動に毅然とした対応を求める。とどまることのない児童の問題行動にどう向き合うのか。現場の迷いは消えていない。

◆力行使を最高裁追認

「悪ふざけをしないよう指導するためで、『体罰』ではない」。熊本県本渡市(現天草市)で02年、男性の臨時教員が、自分をけった小学2年の男児の胸元をつかんで壁に押し当て、怒った行為が、「体罰」に当たるかどうかが争われた上告審判決。最高裁は4月28日、市に賠償を命じた1、2審判決を覆して、男児側の請求を棄却した。

判決を学校現場はどのように受けとめたのか。栃木県内の中学校の男性校長は「決して褒められた行為ではないが、中には言うことを聞かずに暴れたりする子供もおり、指導のために体を押さえたりすることはあり得る」と言う。判決によると、問題となった行為の直前、この男性教員が廊下で上級生の女児にいたずらをしていた男児を注意したところ、男児が教員のお尻をけって逃げ出した。

徳島県内の小学校に勤務する40代の男性教諭は、保護者からのクレームを恐れて教師たちが必要以上に萎縮(いしゅく)していると感じている。「以前よりも無理な注文が増えた。『体罰』と訴えられるのが怖いから、『触らぬ神にたたりなし』とばかりに指導せず、学校現場がうつむきがちになっているようだ」。それだけに判決には「ほっとした」と話す。

実は文部科学省も一定程度の「力の行使」を認めている。07年2月、各都道府県教委に通知した「懲戒・体罰基準」の中で、「問題行動が起こったら毅然とした対応を」と呼びかけ、「目に見える物理的な力の行使により行われた懲戒の一切が体罰として許されないというものではない」という判断を示した。根拠が「有形力の行使が一切許容されないとするのは学校教育法の予想するところではない」(81年・東京高裁)、「状況に応じ一定の限度内で有形力行使が許容される」(85年・浦和地裁)とした過去の確定判決。今回は最高裁が上級審として改めて追認した格好となる。

◆小中学生の暴力増加

文科省の調査によると、07年度に小中高校で認知された暴力行為は5万2756件(前年度比18・2%増)で過去最高となった。高校は前年度比4・7%増にとどまっているのに対し、中学校20・4%増、小学校37・1%増と低年齢化しているのが特徴で、教師に対する暴力も増加傾向にある。小学生の胸ぐらをつかんだ行為を、多くの教師たちが「許容範囲」とみなした背景には、体罰すれすれの線で指導せざるを得ない実態があるからだ。

もっとも、明らかに「指導」を逸脱した「体罰」が依然残っているのも事実だ。06年8月、宮崎県内の市立中学であった体罰事件では、遊んでいた傘で女子生徒に軽いけがをさせた男子生徒2人を男性教諭がそれぞれ20回以上殴り、鼓膜破裂や打撲を負わせた。保護者らは「他の教諭は目撃しながら止められなかった」と主張し、校長は「体罰を見逃す体質があった」と謝罪した。

被害生徒の親族の一人は「若い先生が『キレた』状態になり、何度も殴られたようだ。昔から体罰はあったが、しつこく殴られることはなかった」と言う。さらに「子供は学校の問題を親に言いたがらないし、学校でもこういう先生を生徒指導上、頼りにする風潮があって見て見ぬふりをする。表面化していないケースはかなりあるのではないか」と振り返った。

◆先生処分は年400人

文科省のまとめでは、体罰を理由に懲戒などの処分を受けた教職員数は、98~07年度の10年間、年に400人前後の横ばい状態が続いている。さらに98~04年度に限って調べた「体罰が疑われる件数」は年間800~1000件に上った。

「問題教師」の行為が学校に対する保護者や社会の不信感を招き、その結果、教育現場がますます萎縮しているとすれば不幸だ。千葉県内の小学校の50代男性教諭は今回の最高裁判決について、「訴えられた教員は『きちんと指導しなければ』と追いつめられていたのかもしれない。子供や保護者との関係、他の教員との人間関係や増え続ける仕事量など、若い先生を追い込んでしまう教育現場の問題に目を向けるのが先決だ」と訴える。

◇先進各国、無条件で体罰禁止の流れ 規律維持に他の方策考えては

海外の体罰問題に詳しい元国立教育政策研究所総括研究官の結城忠・上越教育大教授(学校法制)によると、先進国では、学校での体罰を無条件で禁止する方向にある。

ヨーロッパ大陸では18~19世紀、フランスやオランダで教育現場での体罰が禁止され、「教師には体罰による懲戒が認められている」との慣習論が根強かったドイツでも、刑法上は暴行罪になるとの主張から、60~70年代に多数の教師が訴追され、多くの州が体罰を禁止した。

一方、英米は子供には悪性が宿るという「子供原罪論」から、体罰はそれを正すものとして容認され、教師の体罰は「親から委託されたもの」と受け止められてきた。

しかし、欧州人権裁判所が82年、英国の体罰状況は欧州人権条約に違反と判決。英国政府は4年後に公立校での体罰禁止を打ち出した。米国も70年代は連邦最高裁が体罰を容認する判決を出していたが、80年代から多くの州が禁止へと転換し、現在は全50州のうち、「親代わり」論などが根強い南部を中心とした州以外の30州が禁止している。

容認時代の英米でも、何が体罰に当たるのかは判例として蓄積され詳細な基準があり、体罰を行う場合も校長の許可が必要だったり、決められた部屋で手の甲や尻をたたくなど、教師が感情的にならないような手続きが定められていることが多い。

日本は形式的には明治期の教育令(1879年)から体罰禁止を打ち出したが、事実上、空文化した。

現在の学校教育法も体罰を禁じているが、結城教授は「日本は建前で禁止しながら、戦後も条件付き容認だった。最高裁判決もその追認に過ぎず、『指導なら体罰でない』となると、歯止めがかからなくなる恐れがある。体罰に頼らず学校の規律を維持する方法が必要で、例えばドイツでは義務教育期間での退学もある。権利保障と同時に、子供の年齢に合わせてもっと責任を問うような制度にすべきだ」と話している。

2012年7月6日金曜日

日本ペンクラブ訴訟への国内の対応

米グーグルが進めるデジタル化した書籍の全文検索サービスに対する米国での集団訴訟を巡り、日本ペンクラブは27日、阿刀田高会長や浅田次郎専務理事ら同クラブの有志20人が、「和解案がこのまま成立することは認められない」とする異議申し立てをすると発表した。文化庁によると、この訴訟で日本の有名作家がまとまって異議申し立てをするのは初めて。

阿刀田さんらが南ニューヨーク地区連邦地裁に送付する申立書では、日本の著作権者は米国より法的な立場が強いと、日米の著作権法の違いを指摘。米国法をもとにした和解案が成立すると、日本の出版ビジネスが脅かされ、著作権が侵害されると主張する。20人には辻井喬、吉岡忍、山田健太の各氏も含まれる。

阿刀田さんは会見で「グーグルという大きな力を前に、カマキリが鎌を構えるような勝ち目のない闘いかもしれない。でも、主張はしていかないといけない」と強調。外国のペンクラブとも連携し、和解案の問題点を米国裁判所に訴えていく考えを強調した。

世界の書籍700万冊以上をデジタル化。訴訟は、このデジタル化で著作権を侵害されたと米国作家協会などが米国で訴えたもの。同じ利害を持つ世界各国の著作権者たちを、米国の権利者が代表して提訴する、という集団訴訟の形式をとった。

訴訟への国内の対応は割れている。当初強く反発していた日本文芸家協会は、和解案に参加した上でデジタル化されたデータの削除も求めない方針。一方、谷川俊太郎さんら日本ビジュアル著作権協会の会員約180人は、この訴訟そのものを認めておらず、原告団から離脱することを表明している。

2012年6月26日火曜日

中国で「野田新首相はタカ派。両国関係に影も」の見方

中国の国営「中国新聞社」は30日、野田佳彦氏が同日午後の衆議院本会議で首相に指名されたことを受け、香港紙「大公報」の社説を引用しつつ、「新首相が誕生する。疑いもなく新米タカ派の代表」、「日中関係に影を投げかけるが、両国友好の勢いには反しがたい」と主張した。

記事は、野田氏の首相就任を「単なる人事交代ではなく、1945-55年に生まれた少壮派」の特徴として、第二次世界大戦がもたらした屈辱を味わい、自らの成長が1960-70年代の高度成長期と重なり、1990年代からの「失われた20年」も体験したなど、複雑な人生の過程を経てきたことを挙げた。

そのため、「少壮派」の政治家の性格は傲慢さと横暴さが、弱気と困惑しがちいう矛盾ある要素が同居すると主張。また、包囲を突破して日本を強国にしたいという強硬な考えがあり、対中関係を「不満のはけ口として民意を得る」道具として使うという。

記事は、少壮派の政治家による「中国はヒステリー」、「中国の軍事脅威論」、「政治的な宣伝と不可分」と主張。今後の両国関係は日本の国内状況の影響を受けざるをえないとの見方を示した。

さらに日中両国は、「釣魚島(尖閣諸島の中国側呼称)での船舶衝突事件による関係悪化が修復されておらず、民衆間の反発も強い。歴史問題、教科書問題、東海(東シナ海)の問題も、いつ激化してもおかしくない状況」と主張した。

記事は、野田新首相をはじめとする日本の政治家の「少壮派」の台頭で、両国関係に難しさが増える可能性を指摘した上で、「友人は選べない」と指摘し、「両国人民は友好と平和を必要としている。協力しあいともに勝利を得て、いかに未来に向き合うことができるか。全体的な角度から対中関係を処理し、紛争を適切に解決すること。このことが、日本の新首相にとっての厳しい試練になる」と主張した。

2012年6月12日火曜日

千姫様お輿入れ行列

兵庫県姫路市の姫路城三の丸高台にある「千姫ぼたん園」で25、26の両日、千姫ぼたん祭りが行われる。見ごろを迎えつつあるボタンを堪能できるほか、お茶席などのイベントも開催。26日には着物姿の市民らによる「千姫様お輿(こし)入れ行列」もあり、祭りを盛り上げる。

市民らでつくる千姫ぼたんの会と姫路城を守る会が主催。ぼたん園が完成した平成5年から毎年行われている。

総面積約1万4000平方メートルで、約80種約1000株のボタンを植栽。姫路城管理事務所によると、今年は暖かい日が続いたことなどから例年より1週間ほど早く開花したという。白やピンク、赤といったカラフルなボタンが咲き誇っており、期間中にちょうど見ごろとなりそう。

また、千姫様お輿入れ行列は26日午後1時に大手門をスタート。徳川幕府2代将軍秀忠の娘の千姫と、本多忠政の嫡男で夫の忠刻(ただとき)の2人を先頭に、着物姿の約30人が千姫ぼたん園までを練り歩き、江戸時代初期の豪華絢爛(けんらん)な風情を演出する。

2012年5月2日水曜日

長期金利が上昇するおそれがある

日米欧や中国など新興国で構成する主要20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議が4日(日本時間5日)、ロンドンで開幕する。今月24日から米ピッツバーグで開かれるG20金融サミット(首脳会合)の準備会合で、日本からは竹下亘副財務相、白川方明・日銀総裁が出席。

マイナス成長からの底打ちが明確になってきた世界経済の現状や、緊急時の金融・経済政策から平時の状況に戻す「出口戦略」を議論する。また金融機関が短期的な利益を追求し、金融危機の原因になったとして、金融機関の過度な高額報酬を国際的に規制する議論も行われる。

今回の会議では、「世界経済は安定化を示す兆候があるが、不確実で大きなリスクが存在する」とした、7月のラクイラ・サミット(主要8カ国首脳会議)での経済認識をどこまで前進させるかが焦点だ。

8月以降に発表された主要国の4~6月期の国内総生産(GDP)の成長率は、日本やドイツ、フランスがプラス成長に転じるなど急回復した。ガイトナー米財務長官は2日、「世界経済はがけっぷちから引き返し、回復の兆しが見え始めた」と胸を張った。

しかし、景気回復は巨額の財政出動に支えられた一時的なもの、との見方は根強い。世界経済の回復をけん引してきた中国経済は、上海株式市場の株価指数が8月の高値から2割以上も下落し、「バブル崩壊」を心配する声もあり、先行きには懸念がある。

金融危機後、各国が進めてきた非常時の危機対策を終息させる「出口戦略」も焦点になる。過度の金融緩和ではインフレが心配されるほか、財政支出が行き過ぎると、国債の価格が下がり、長期金利が上昇するおそれがあるためだ。

2012年4月19日木曜日

憲法改正 「国づくり」の基本を論じよう

この国をどの方向へ導こうとしているのか。各党の政権公約をみても、いま一つ判然としない、と感じている人は少なくないだろう。「政権選択」の選挙だといわれる。とするなら、目指すべき社会の姿や国家の進路について各党の見解を聞く必要がある。そのためには、「国のかたち」とも言うべき憲法の論戦が不可欠だ。

しかし、選挙戦も終盤なのに、憲法改正論議がほとんど聞こえてこない。どうしたことか。自民党は、政権公約でこそ、「自民党新憲法草案」に基づいて早期改正を実現する、と強調している。だが、その自主憲法制定論も、麻生首相をはじめとする「景気対策最優先」の訴えの前に、かき消されがちだ。

民主党の鳩山代表は、改憲論者として知られる。だが、民主党の政権公約は、憲法問題について、「慎重かつ積極的に検討」すると書いている。前向きなのか、後ろ向きなのか。これでは有権者は戸惑うだけだろう。

社民党は、「護憲」一辺倒である。民主党が、社民党との選挙協力や連立協議の混乱、不調を恐れて憲法論議を忌避しているとすれば、極めて残念なことだ。ただ、今回の選挙で当選する衆院議員は、憲法問題に、否応(いやおう)なく向き合うことになる。

憲法改正手続きを定めた国民投票法が来年5月には施行されるからだ。法律上は、憲法改正原案の国会提出が可能になる。衆院選で各党が掲げている子育てや教育支援、雇用対策、地方分権などの公約も、憲法に深いかかわりをもっている。

選挙後は、インド洋での海上自衛隊による給油活動の継続の是非が、再び与野党の争点になる。こうした自衛隊の国際平和協力活動を憲法にどう明文化するかは、憲法改正の一つの論点である。

北朝鮮の弾道ミサイルに対処するため、集団的自衛権行使を禁ずる政府解釈を変更するかどうかも、避けて通れぬ政治課題だ。選挙後の国会では、休眠状態にあった衆院憲法審査会を本格始動させなければならない。

読売新聞が先に実施した立候補予定者アンケートによれば、自民党では98%、民主党でも62%が、「今の憲法を改正する方がよい」と答えていた。新しい「国づくり」に向けて、各党、候補者は、憲法について大いに論じ合うべきである。

2012年4月2日月曜日

日立再建 脱・総合電機への険しい道

日立製作所が「総合電機」の路線から転換し、復活を目指す。大胆な改革で、収益力を向上させることが急務だ。日立は、日立マクセルなど上場子会社5社に対し、株式公開買い付け(TOB)を開始した。5~7割の出資比率を100%に引き上げ、今年度内に完全子会社化する方針である。

日立は今年3月期決算で、国内企業で最大の7873億円の連結最終赤字となった。今期も巨額赤字が予想される。重厚長大を代表する日本のトップ企業だった日立が、新興国企業の追い上げなど、激変する経営環境への対応につまずき、業績低迷から抜け出せない。

原子力発電から半導体、家電まで、何でも手がける「総合電機」は、総花的な経営を招き、苦境に陥る要因になったといえよう。

日立本社とは対照的に、日立マクセルなど5社は、ハイブリッド車向けのリチウムイオン電池や、次世代情報システムなど有望な成長ビジネスを手がける。好調な子会社を完全に取り込み、日立グループの底上げを狙うのは妥当な判断だろう。

これを機に、事業の「選択と集中」を進め、総合電機からの脱却に弾みをつける必要がある。親会社と子会社がともに上場する「親子上場」は、日本企業独特の経営手法とされる。日立がこれを見直す利点は、5社が稼いだ利益を少数株主への配当などでグループ外に流出させず、収益増を期待できることだ。

しかし、巨艦・日立が業績を早期に回復できるかどうか、展望は不透明だ。5社を囲い込んでも、巨額赤字の穴埋めには、とても及ばないからだ。甘い企業体質の抜本的な改革が欠かせない。日立の上場子会社は、5社以外にも11社あり、連結子会社は900社超に上る。

巨大グループに分散する重複事業を再編して、効率化を図り、経営資源を成長分野に集中できるかどうか。赤字事業からの撤退、非中核部門の子会社売却など、課題は山積している。リストラ頼みで事業を縮小するだけではなく、技術革新などで競争力を回復し、収益基盤を強化することが大事だ。

こうした日立の試みは、世界不況の克服をめざす日本の産業界にとっても教訓になる。新興国市場の急成長など、世界が激動する中、新たな成長戦略を描き、有望な事業拡大に先手を打つ姿勢が各社に求められよう。