2016年4月18日月曜日

ボヘミアンの生活信条

「ボヘミアン」とは自由奔放な生活者たちのことで、たとえばマルコム・カウリーは『亡命者帰る』のなかで、アメリカのボヘミアン文化の特徴を次のようにまとめている。「子供による救済」われわれはみな、特別な才能を持って生まれてきたのだが、それはしだいに社会によって押しつぶされてしまう。「自己表現という思想」人生の目的は、個人の内面にある個性をフルに表現することである。「官能礼賛の思想」肉体は寺院であり、裸体もセックスも不潔なものではない。「自由の思想」すべての法律、規則は破られるべきだ。「男女平等の思想」「心理的適応の思想」人々が不幸であるのは、抑圧され、環境に適応できないでいるからだ。「環境変更の思想」真実は、旅に出て、新しい活気にあふれた場所に移り住むことでみつけられる。

こうしたボヘミアンの生活信条は、アメリカでは、六〇年代の学生急進派へと受け継がれていった。六〇年代の若者たちは、親世代のWASPに対抗して、世俗的成功への欲望と物質主義を否定し、あるいは権威と秩序を破壊し、精神と知性を賛美した。そして八〇年代から九〇年代にかけて、彼らはその反逆的な精神を、さらに企業家精神へと活かすようになっていった。ボヘミアンは、絶え間ない変化、最大限の自由、若々しい情熱、急進的な実験、新しいものへの渇望といった徳目を重んじる。これらの徳目はいまや、アメリカでは新しいビジネスの理念となっている。たとえばトム・ピーターズのような経営コンサルタントのカリスマ(名著『エクセレント・カンパニー』の著者)は、六〇年代の対抗文化運動の意義を、IT革命の理念に活かすことに成功した代表的人物であろう。ボヘミアンから出発した「ボボズ」は、およそ次のようなライフスタイルを築きつつある。

2016年3月17日木曜日

日記から読み取れること

それでも、素材となった本物の裁判では約三年かかった審理を一目に集中してやったのですから、陪審裁判にすれば、やはり裁判は短くなるわけです。その模擬裁判は参加した弁護士にとっても初めての試みであったことから、いろいろと考えなければならない技術的な問題点や教訓もありましたが、ただ、陪審制そのものが導入する価値の高い制度であることは再確認できました。

特に印象的だったのは、思考がパターン化されがちな法律実務家に比べて、陪審員は実に深く、かつ多面的に考えていたことでした。「陪審員は感情に流されるのではないか」「より巧みな弁論に引きずられるのではないか」といった危惧がないわけではありません。

また、欧米人のように本当に活発な議論ができるのかも心配でした。しかし、実際に試してみると、それは全くの杞憂でした。後になってふりかえってみると、その事件には、法律専門家の多くがパターン化した思考に陥りやすい問題点がありました。

具体的には「ある老人が病院の窓から落下して死亡した。これは自殺か事故か」という点が問題でした。証拠にはいろいろありましたが、その中に、死亡した老人が日記の中で「生きる意志」を書いていました。プロの思考パターンからしますと、この書証にかなり引っ張られ、自殺はあり得ないと簡単に結論を出してしまいがちです。

ところが、十二人の模擬陪審員はこの問題をかなり深くっっこんで考えて、日記の記載だけでなく法律家があまり考えないところまで幅広く目を配って、六対六に分かれて議論がまとまらないといった格好になりました。ここには、普通の日本の市民も決して付和雷同ではなく、多面的にしっかりと考えられることが示されています。

2016年2月17日水曜日

連立政権の時代

一九九三年当時、自民党の長期支配が続くなか、政治改革を求める勢力が期待した政党は、政権交替可能な大政党であった。小選挙区比例代表並立制に基づく、二大政党制である。しかし九三年の自民党の分裂は、結果的に野党の結集を促すには至らなかった。自民党が社会党と連立を組むという離れ業で政権に復帰した後も、野党の結集や、新党の結成は試みられたが、自民党の対抗勢力にまでは育だなかった。結局、細川内閣以降の日本の政権は、自民党も含めどの政党も単独では内閣を組織できず、結局、連立政権を余儀なくされてきたのだった。

今後、自民党が衆参両院で過半数を制することができれば、再び、単独で内閣を組織できることになるが、他方、小選挙区制度は、政権党が失政を犯せば、大きく敗北を喫する場合もあり、政権交替の可能性は決して少なくはない。そのことに加え、民意の多様化が進み、対抗勢力である野党の統一が容易ではないことを考えれば、どの政党も単独で政権を担えない状況、つまり連立政権の常態化は、今後も十分にあり得るであろう。

ちなみに、ここまで「連立政権、連立内閣」という言葉について、特に定義せずに議論を進めてきたが、厳密には、単独の政党だけで過半数の議席を確保できずに、他の政党と協力して政権を獲得した場合を連合政権といい、連合政権のうち、二つ以上の政党が政策協定などを結び内閣を組織する場合を連立政権、連立内閣という。

したがって、九三年八月以降は、第二次橋本内閣の前半における社民党、さきがけの閣外協力のケースのみが、「連合政権だが連立政権ではない」ということになる。また、政策協定は結ばずに、政権党が野党に呼びかけて政策ごとに協力しあう場合もあり、これを部分連合、政策連合などと呼ぶ。九九年通常国会までの自自(公)政権の場合、自民、自由は連立内閣であり、公明党は部分連合であった。総じてこの六年間は、連立政権の時代と呼ぶことができるであろう。

2016年1月20日水曜日

予想される風圧

確かに、冷戦下の国連では、常任理事国は不参加という慣行が守られ、必ずしも国連平和維持活動への参加が条件とはされていなかった。しかし、第一に、過去においては五大国がいずれも核保有国、武器輸出国であり、軍事力を背景に強い発言力を維持してきたという現実は見逃せない。

第二に、冷戦後の国連平和維持活動は、五大国不参加という慣行にとらわれず、とりわけ憲章第七章のもとで派遣された平和実施部隊においてはソマリアの米軍、旧ユーゴの英国、フランス軍など、常任理事国の兵力が重要な役割を担っていることにも注意を向ける必要があるだろう。

九四年一月に米議会上院は、軍事行動を含め、国連平和維持活動に日本とドイツが参加できるようになるまで、両国の常任理事国入りは認めるべきではない、という付帯決議を全会一致で可決した。これは政府を拘束するものではなく、米国の意向を左右するものではないが、こうした声が議会にあるという事実を、無視することはできないだろう。

決議では、「両国では現在、常任理事国の責任を完全に果たすことは禁じられているとの見方が大勢で、完全参加の能力を持つために必要な変革には乗り気ではない」として、結果的には制限の撤廃を促す内容になっている。これは、米軍などが危険にさらされるPKOの派遣決定に、制約のある国が参加するのはおかしい、という「平等論」とも言うべき意見だ。

もちろん、PKOは加盟国の自発性において、その能力や諸条件に応じて参加する活動だから、常任理事国の一員として派遣を決定しても、参加は義務としては生じない。だが、無条件で常任理事国入りを求めれば、その代償として、要員についても応分の負担を求める感情的、心理的な圧力は高まらざるを得ないだろう。