2012年7月25日水曜日

増える問題行動に「力で指導」の迷い。

クレーム恐れ教師萎縮、一方で体罰減らず

熊本県の小学校で起きた「体罰」をめぐり最高裁は4月、一定の力の行使を指導として認めた。文部科学省は体罰を禁止しながらも、問題行動に毅然とした対応を求める。とどまることのない児童の問題行動にどう向き合うのか。現場の迷いは消えていない。

◆力行使を最高裁追認

「悪ふざけをしないよう指導するためで、『体罰』ではない」。熊本県本渡市(現天草市)で02年、男性の臨時教員が、自分をけった小学2年の男児の胸元をつかんで壁に押し当て、怒った行為が、「体罰」に当たるかどうかが争われた上告審判決。最高裁は4月28日、市に賠償を命じた1、2審判決を覆して、男児側の請求を棄却した。

判決を学校現場はどのように受けとめたのか。栃木県内の中学校の男性校長は「決して褒められた行為ではないが、中には言うことを聞かずに暴れたりする子供もおり、指導のために体を押さえたりすることはあり得る」と言う。判決によると、問題となった行為の直前、この男性教員が廊下で上級生の女児にいたずらをしていた男児を注意したところ、男児が教員のお尻をけって逃げ出した。

徳島県内の小学校に勤務する40代の男性教諭は、保護者からのクレームを恐れて教師たちが必要以上に萎縮(いしゅく)していると感じている。「以前よりも無理な注文が増えた。『体罰』と訴えられるのが怖いから、『触らぬ神にたたりなし』とばかりに指導せず、学校現場がうつむきがちになっているようだ」。それだけに判決には「ほっとした」と話す。

実は文部科学省も一定程度の「力の行使」を認めている。07年2月、各都道府県教委に通知した「懲戒・体罰基準」の中で、「問題行動が起こったら毅然とした対応を」と呼びかけ、「目に見える物理的な力の行使により行われた懲戒の一切が体罰として許されないというものではない」という判断を示した。根拠が「有形力の行使が一切許容されないとするのは学校教育法の予想するところではない」(81年・東京高裁)、「状況に応じ一定の限度内で有形力行使が許容される」(85年・浦和地裁)とした過去の確定判決。今回は最高裁が上級審として改めて追認した格好となる。

◆小中学生の暴力増加

文科省の調査によると、07年度に小中高校で認知された暴力行為は5万2756件(前年度比18・2%増)で過去最高となった。高校は前年度比4・7%増にとどまっているのに対し、中学校20・4%増、小学校37・1%増と低年齢化しているのが特徴で、教師に対する暴力も増加傾向にある。小学生の胸ぐらをつかんだ行為を、多くの教師たちが「許容範囲」とみなした背景には、体罰すれすれの線で指導せざるを得ない実態があるからだ。

もっとも、明らかに「指導」を逸脱した「体罰」が依然残っているのも事実だ。06年8月、宮崎県内の市立中学であった体罰事件では、遊んでいた傘で女子生徒に軽いけがをさせた男子生徒2人を男性教諭がそれぞれ20回以上殴り、鼓膜破裂や打撲を負わせた。保護者らは「他の教諭は目撃しながら止められなかった」と主張し、校長は「体罰を見逃す体質があった」と謝罪した。

被害生徒の親族の一人は「若い先生が『キレた』状態になり、何度も殴られたようだ。昔から体罰はあったが、しつこく殴られることはなかった」と言う。さらに「子供は学校の問題を親に言いたがらないし、学校でもこういう先生を生徒指導上、頼りにする風潮があって見て見ぬふりをする。表面化していないケースはかなりあるのではないか」と振り返った。

◆先生処分は年400人

文科省のまとめでは、体罰を理由に懲戒などの処分を受けた教職員数は、98~07年度の10年間、年に400人前後の横ばい状態が続いている。さらに98~04年度に限って調べた「体罰が疑われる件数」は年間800~1000件に上った。

「問題教師」の行為が学校に対する保護者や社会の不信感を招き、その結果、教育現場がますます萎縮しているとすれば不幸だ。千葉県内の小学校の50代男性教諭は今回の最高裁判決について、「訴えられた教員は『きちんと指導しなければ』と追いつめられていたのかもしれない。子供や保護者との関係、他の教員との人間関係や増え続ける仕事量など、若い先生を追い込んでしまう教育現場の問題に目を向けるのが先決だ」と訴える。

◇先進各国、無条件で体罰禁止の流れ 規律維持に他の方策考えては

海外の体罰問題に詳しい元国立教育政策研究所総括研究官の結城忠・上越教育大教授(学校法制)によると、先進国では、学校での体罰を無条件で禁止する方向にある。

ヨーロッパ大陸では18~19世紀、フランスやオランダで教育現場での体罰が禁止され、「教師には体罰による懲戒が認められている」との慣習論が根強かったドイツでも、刑法上は暴行罪になるとの主張から、60~70年代に多数の教師が訴追され、多くの州が体罰を禁止した。

一方、英米は子供には悪性が宿るという「子供原罪論」から、体罰はそれを正すものとして容認され、教師の体罰は「親から委託されたもの」と受け止められてきた。

しかし、欧州人権裁判所が82年、英国の体罰状況は欧州人権条約に違反と判決。英国政府は4年後に公立校での体罰禁止を打ち出した。米国も70年代は連邦最高裁が体罰を容認する判決を出していたが、80年代から多くの州が禁止へと転換し、現在は全50州のうち、「親代わり」論などが根強い南部を中心とした州以外の30州が禁止している。

容認時代の英米でも、何が体罰に当たるのかは判例として蓄積され詳細な基準があり、体罰を行う場合も校長の許可が必要だったり、決められた部屋で手の甲や尻をたたくなど、教師が感情的にならないような手続きが定められていることが多い。

日本は形式的には明治期の教育令(1879年)から体罰禁止を打ち出したが、事実上、空文化した。

現在の学校教育法も体罰を禁じているが、結城教授は「日本は建前で禁止しながら、戦後も条件付き容認だった。最高裁判決もその追認に過ぎず、『指導なら体罰でない』となると、歯止めがかからなくなる恐れがある。体罰に頼らず学校の規律を維持する方法が必要で、例えばドイツでは義務教育期間での退学もある。権利保障と同時に、子供の年齢に合わせてもっと責任を問うような制度にすべきだ」と話している。

2012年7月6日金曜日

日本ペンクラブ訴訟への国内の対応

米グーグルが進めるデジタル化した書籍の全文検索サービスに対する米国での集団訴訟を巡り、日本ペンクラブは27日、阿刀田高会長や浅田次郎専務理事ら同クラブの有志20人が、「和解案がこのまま成立することは認められない」とする異議申し立てをすると発表した。文化庁によると、この訴訟で日本の有名作家がまとまって異議申し立てをするのは初めて。

阿刀田さんらが南ニューヨーク地区連邦地裁に送付する申立書では、日本の著作権者は米国より法的な立場が強いと、日米の著作権法の違いを指摘。米国法をもとにした和解案が成立すると、日本の出版ビジネスが脅かされ、著作権が侵害されると主張する。20人には辻井喬、吉岡忍、山田健太の各氏も含まれる。

阿刀田さんは会見で「グーグルという大きな力を前に、カマキリが鎌を構えるような勝ち目のない闘いかもしれない。でも、主張はしていかないといけない」と強調。外国のペンクラブとも連携し、和解案の問題点を米国裁判所に訴えていく考えを強調した。

世界の書籍700万冊以上をデジタル化。訴訟は、このデジタル化で著作権を侵害されたと米国作家協会などが米国で訴えたもの。同じ利害を持つ世界各国の著作権者たちを、米国の権利者が代表して提訴する、という集団訴訟の形式をとった。

訴訟への国内の対応は割れている。当初強く反発していた日本文芸家協会は、和解案に参加した上でデジタル化されたデータの削除も求めない方針。一方、谷川俊太郎さんら日本ビジュアル著作権協会の会員約180人は、この訴訟そのものを認めておらず、原告団から離脱することを表明している。