2016年3月17日木曜日

日記から読み取れること

それでも、素材となった本物の裁判では約三年かかった審理を一目に集中してやったのですから、陪審裁判にすれば、やはり裁判は短くなるわけです。その模擬裁判は参加した弁護士にとっても初めての試みであったことから、いろいろと考えなければならない技術的な問題点や教訓もありましたが、ただ、陪審制そのものが導入する価値の高い制度であることは再確認できました。

特に印象的だったのは、思考がパターン化されがちな法律実務家に比べて、陪審員は実に深く、かつ多面的に考えていたことでした。「陪審員は感情に流されるのではないか」「より巧みな弁論に引きずられるのではないか」といった危惧がないわけではありません。

また、欧米人のように本当に活発な議論ができるのかも心配でした。しかし、実際に試してみると、それは全くの杞憂でした。後になってふりかえってみると、その事件には、法律専門家の多くがパターン化した思考に陥りやすい問題点がありました。

具体的には「ある老人が病院の窓から落下して死亡した。これは自殺か事故か」という点が問題でした。証拠にはいろいろありましたが、その中に、死亡した老人が日記の中で「生きる意志」を書いていました。プロの思考パターンからしますと、この書証にかなり引っ張られ、自殺はあり得ないと簡単に結論を出してしまいがちです。

ところが、十二人の模擬陪審員はこの問題をかなり深くっっこんで考えて、日記の記載だけでなく法律家があまり考えないところまで幅広く目を配って、六対六に分かれて議論がまとまらないといった格好になりました。ここには、普通の日本の市民も決して付和雷同ではなく、多面的にしっかりと考えられることが示されています。

2016年2月17日水曜日

連立政権の時代

一九九三年当時、自民党の長期支配が続くなか、政治改革を求める勢力が期待した政党は、政権交替可能な大政党であった。小選挙区比例代表並立制に基づく、二大政党制である。しかし九三年の自民党の分裂は、結果的に野党の結集を促すには至らなかった。自民党が社会党と連立を組むという離れ業で政権に復帰した後も、野党の結集や、新党の結成は試みられたが、自民党の対抗勢力にまでは育だなかった。結局、細川内閣以降の日本の政権は、自民党も含めどの政党も単独では内閣を組織できず、結局、連立政権を余儀なくされてきたのだった。

今後、自民党が衆参両院で過半数を制することができれば、再び、単独で内閣を組織できることになるが、他方、小選挙区制度は、政権党が失政を犯せば、大きく敗北を喫する場合もあり、政権交替の可能性は決して少なくはない。そのことに加え、民意の多様化が進み、対抗勢力である野党の統一が容易ではないことを考えれば、どの政党も単独で政権を担えない状況、つまり連立政権の常態化は、今後も十分にあり得るであろう。

ちなみに、ここまで「連立政権、連立内閣」という言葉について、特に定義せずに議論を進めてきたが、厳密には、単独の政党だけで過半数の議席を確保できずに、他の政党と協力して政権を獲得した場合を連合政権といい、連合政権のうち、二つ以上の政党が政策協定などを結び内閣を組織する場合を連立政権、連立内閣という。

したがって、九三年八月以降は、第二次橋本内閣の前半における社民党、さきがけの閣外協力のケースのみが、「連合政権だが連立政権ではない」ということになる。また、政策協定は結ばずに、政権党が野党に呼びかけて政策ごとに協力しあう場合もあり、これを部分連合、政策連合などと呼ぶ。九九年通常国会までの自自(公)政権の場合、自民、自由は連立内閣であり、公明党は部分連合であった。総じてこの六年間は、連立政権の時代と呼ぶことができるであろう。