2016年2月17日水曜日

連立政権の時代

一九九三年当時、自民党の長期支配が続くなか、政治改革を求める勢力が期待した政党は、政権交替可能な大政党であった。小選挙区比例代表並立制に基づく、二大政党制である。しかし九三年の自民党の分裂は、結果的に野党の結集を促すには至らなかった。自民党が社会党と連立を組むという離れ業で政権に復帰した後も、野党の結集や、新党の結成は試みられたが、自民党の対抗勢力にまでは育だなかった。結局、細川内閣以降の日本の政権は、自民党も含めどの政党も単独では内閣を組織できず、結局、連立政権を余儀なくされてきたのだった。

今後、自民党が衆参両院で過半数を制することができれば、再び、単独で内閣を組織できることになるが、他方、小選挙区制度は、政権党が失政を犯せば、大きく敗北を喫する場合もあり、政権交替の可能性は決して少なくはない。そのことに加え、民意の多様化が進み、対抗勢力である野党の統一が容易ではないことを考えれば、どの政党も単独で政権を担えない状況、つまり連立政権の常態化は、今後も十分にあり得るであろう。

ちなみに、ここまで「連立政権、連立内閣」という言葉について、特に定義せずに議論を進めてきたが、厳密には、単独の政党だけで過半数の議席を確保できずに、他の政党と協力して政権を獲得した場合を連合政権といい、連合政権のうち、二つ以上の政党が政策協定などを結び内閣を組織する場合を連立政権、連立内閣という。

したがって、九三年八月以降は、第二次橋本内閣の前半における社民党、さきがけの閣外協力のケースのみが、「連合政権だが連立政権ではない」ということになる。また、政策協定は結ばずに、政権党が野党に呼びかけて政策ごとに協力しあう場合もあり、これを部分連合、政策連合などと呼ぶ。九九年通常国会までの自自(公)政権の場合、自民、自由は連立内閣であり、公明党は部分連合であった。総じてこの六年間は、連立政権の時代と呼ぶことができるであろう。