2015年12月17日木曜日

欧米との違いとは・・・

あなたも「結果オーライ」となるかどうかは分かりません。法律には様々な落とし穴もあります。実際は、すんなりと思い通りに行くには相当運が良くなければいけない、というのが現実です。

「裁判で強制されない法律」を守るわけがないのに、「本当に日本の裁判はそこまで不安なものなのか?」と疑問に思い、あるいは不安を抱いた方もおられるかもしれません。

「そんなにうまくいかないことがあるのは、弁護士の腕が悪いのでは?」などと思う人もいるかもしれません。しかし、実際の法律の仕組みや、日本の裁判実務がどのように動いているかを冷静に眺めると、いろいろと問題があっても仕方がないようになっています。

裁判にそれはどの問題がなければ、みんなもう少し裁判をうまく利用するはずですし、それによって、日本の社会でも法律がちゃんと守られて、人々加法的なモラルを尊重するような雰囲気になっているはずです。また、「法律トラブルに巻き込まれても、必ずうまく正義に沿って解決できるものだ」という安心感がしっかりと社会にあるはずです。

しかし、現実にはそうなっていない。それが巷の実感です。欧米と比べても問題です。そのことは、裁判の役割を日本と欧米で比較してみれば、はっきりと感じられます。

2015年11月18日水曜日

ニュートンの古典力学の世界に住む日本人

トーマス・マンはドイツ敗北直後でありながら、ドイツ人の精神的伝統、ことにそのロマン主義の良さ、美しさがヒトラーによって堕落させられてしまったのだ、とそのアイデンティティを懸命に擁護しているのである。こうした「部分否定」が可能なのは「契約一再契約の法則」によるのである。日本人の国民性が「多重人格」ないし「無節操」に映ったのも、この「作用・反作用の法則」のためである。要するに、日本人はニュートンの古典力学の世界に住んでいるのだ。

実際、日本文明には「慣性の法則」も「作用・反作用の法則」も存在している。むろん、「運動方程式」も成り立つ。「JF(日本人力)イコールM・E」がそれだ。日本人は情緒的な一体感とそれを共有する集団の規模が大きくなるほど力を発揮するのである。なんと、日本文明では比喩ではあるがニュートンの古典力学の基礎となる法則がすべて成り立ってしまったではないか。古典力学は決定論の世界だから、日本人の行動はすぐ読めるのである。これに対して西欧は、不確定性原理か支配する量子力学の世界である。

だから、常に確率という不確定な要素を考慮しながら行動するわけだ。さまざまなシミュレーションに基づき、一番確率の高そうなことから万が一の危機管理まで、しっかり戦略を練るのが西欧文明の生理なのである。

2015年10月17日土曜日

コングロマリット経営を批判する

企業はまずドックの事業を捨てます。そしてキャッシュ・カウで得たキャッシューフローを問題児につぎ込み、スターになるよう注力します。スターは市場が成熟していくにつれ、さほどキャッシューフローを投資に振り向ける必要性も少なくなっていきます。時間とともにキャッシューカウヘと変化していくのです。

実はこうしたマトリックスの考え方は、もはや米国では通用しにくくなっています。アメリカでは、コングロマリットは株式市場でディスカウントされ、ピュアプレイが好まれるように変わってきているのです。「事業を四つのドメインに分けて、Aで儲けキャッシューフローをBに投入する」。そんなことは「企業という舞台」の上でやるべきではありません。株式市場という「市場の場」で投資家が好きずきに行なったほうが、はるかに効率的なのです。

こうした理論の変遷もあって、日本の大企業経営者が海外の機関投資家に会いますと、「必ず」と言っていいほど、コングロマリット経営を批判されてしまいます。これに対して日本の経営者がコングロマリット経営を擁護するのに使うロジックがあります。一つは、シナジー(相乗効果)あるいはヴァリュー・チェーン(Value Chain)といった考え方です。

先の例で言えば、半導体とパソコンの両事業の間にはシナジーが認められるというものです。もう少し分かりやすく説明しますと、たとえばパソコンメーカーにとっては半導体事業を持つことで半導体の安定供給が得られます。こういった「目に見えぬ利点」が認められるから一つの傘の下で両事業を併せ持つことにはそれなりの意味があるとする説明です。一石の事業の価値(ヴァリュ上があたかも鎖(チェーン)で結ばれているがごとく密接にからみあっているとの説明です。

残念ながら海外の機関投資家にはこうした説明は、多くの場合、単なる言い訳としか受け取ってもらえません。パソコンメーカーが半導体を使う場合、多くの半導体メーカーに競争させて、できるだけ品質の高いものを低価格で仕入れたほうがよいに決まっているからです。自社ブランドに固執する必要はないのです。

2015年9月17日木曜日

日本の景気低迷の原因

いろいろなウェブもグーグルで簡単に検索でき、グーグル得意の地図検索もパソコン上で行うときと同じような素早さで反応してくれる。日本の携帯電話の複雑な機能を使いこなしている人たちがどう感じるかはわからないが、パソコンで仕事をしている人間にとっては、グーグル携帯はパソコンの延長上の非常に便利な機器である。グーグルは世界の多くの携帯にこのアンドロイドを搭載することを狙っているのだろう。世界のパソコンの多くがマイクロソフト社のウィンドウズで動いているように、世界の多くの携帯電話がアンドロイドで動くようになるのだろうか。より多くの人がグーグル携帯を利用するほど、ソフトの開発コストを下げ、機能をアップさせることができる。規模の経済性が働いているのだ。

より多くの人がグーグル携帯を利用すれば、それだけ多くの人が携帯電話を通じてグーグルの検索やGメールなどを利用するようになる。ネットワークが広がりを持つほど、そのネットワークの持つパワーが拡大するというネットワークの外部性が強く働くのだ。独自のサービスと機能を志向してきた日本の携帯電話メーカーや通信会社にとってこの動きは脅威であるとともに、チャンスでもある。日本独自のOSや機能に強くこだわり、世界標準の流れとまともに競合する道を選べば、かつて日本のパソコンのOSが敗退していった道をまたたどることになる。

しかし、携帯電話のOSの流れをうまくつかんで、その上にどのような付加価値を乗せていくのか考えれば、そこの市場をさらに拡大させていく余地が生まれるはずだ。特に通信会社にとっては、より多くの通信をしてもらえるなら、アンドロイドであろうと日本独自のソフトであろうと同じだけ通信料を稼ぐことができるはずだ。Iモードという独自のサービスで日本国内市場の大きなシェアを占めているNTTドコモが、あえてグーグル携帯を導入したのは興味深い。今後、ドコモがグーグル携帯でどのような展開をするのか注目したい。

ところで、グーグルと違って機器からOSまで独自の路線をとっているアップルの「IPhone」は、パソコンで独自の世界を築いている同社のマックに似ている面が多い。この動きにも注目したい。国債バブルの問題を提起する書籍や記事が増えている。日本の政府債務は増える一方であるのに、その債務証書である国債の価格が史上最高値(国債利回りは史上最低水準)であるからだ。もし国債価格が暴落したらどうなるだろうか。そうした不安を感じている人も多いはずだ。日本の財政問題は、財政を運営する主体である政府の問題としてだけとらえるべきではない。長引くデフレと景気低迷、家計や企業の防衛的姿勢、金融機関の行動原理など、日本経済全体の動きとしてとらえる必要がある。

この20年、家計(消費者)は支出を抑えてきた。日本の家計部門が所有している金融資産の額は世界の中でも突出した存在で、年間可処分所得のおおよそ4倍という高い水準である(米国や英国は3倍、ドイツやフランスは2倍である)。将来の年金や医療や雇用が不安で支出を抑えてきた。だから、日本の内需はふるわず、景気も低迷している。デフレも長期化の様相を呈している。企業部門も戦後最大規模という手元資金を保有している。積極的に投資に資金を回さず、ひたすら防御的に手元に資金を蓄えている。だから投資需要が伸びず、内需が伸びない。これも日本の景気低迷の原因である。

2015年8月22日土曜日

ベビーホテル

だが一方では、ビジネスである以上都合のいい情報しか出さない可能性もある。少子化による競争激化で経費や人件費の削減に躍起になる経営者もいるだろうし、「安い保育料」や「長時間保育」を求める母親のニーズを優先するあまり、子どもの成育環境が悪化するケースも見受けられる。実際、テレビで「宣伝」されるような理想的保育所の陰で、現実には多くの無認可駅型保育所が存在するのだ。私か取材した駅型保育所のいくつかは、繁華街の雑居ビルや駅前マンションの一室だった。日当たりの悪い部屋にベビーベッドがぎゅうぎゅう詰めで並び、オムツやおもちゃが壁際のラックに乱雑に積まれている。こうした小規模施設には。専用の調理設備のない場合が多いため、給食サービスが利用される。

だが、業者から運ばれてきた給食は温め直す手間がかかるし、離乳期、幼児期など発達段階に応じた食事を提供するにはそれなりの経費も必要になる。これを負担できる施設なら問題はないかもしれないが、なかには「給食は人手とお金がかかる」との理由で、イッスタントベビーフードや仕出し弁当を食べさせるケースもあるのだ。延長保育で夜まで過ごす子どもは、昼も夜も一日二食を仕出し弁当で済ますことになる。二〇〇四年五月二百付読売新聞では無認可保育施設の悲惨な実態が次のように報告されている。

〈夜七時以降も子供を預かる東京都内の無認可保育施設「ベビーホテル」のうち半数近い百以上の施設が、都の指導要綱で定めた基準に二年連続で違反していたことが分かった。保育士が足りない、子供を詰め込みすぎなどで、前年度の指導が″無視”されたケースも目立った。(中略)都が再犯の理由をただしても、「補助金がないため、余裕がない」との答えが返ってくるばかり。雑居ビルなどで営業する形態も多く、都職員がひどい環境に驚くこともある。

ある施設は、保育スペースで犬を放し飼いにしていた。六畳程度の部屋に十人の幼児を詰め込んでいた施設では、一、二歳児に市販の弁当の空揚げや煮物を細かく刻んで与えていた。おまる、哺乳瓶、食器を同じ流し台で洗っていた施設もあった〉「半数近い施設が、二年連続で違反」なわけだから、こうしたケースは必ずしも例外とは言えないだろう。それにしても赤ちやんやヨチヨチ歩きの幼児がいる部屋で犬を放し飼いとは劣悪すぎる。

女性が社会進出することのすばらしさや、仕事と育児を両立するかっこよさを理想的と持ち上げ、そうした女性の生き方を支援することが行政の責務と言われる。しかし、育児される側、つまり子どもたちは、本来、おとな以上に「支援」を必要とする存在なのだ。仕事や経済的問題を抱える女性への支援が必要なことは当然だが、おとなの事情や都合ばかり優先させ、親のニーズがかなえられることだけを「すばらしい」と推進していっていいのだろうか。

2015年7月18日土曜日

「国内基盤」のなさ

こういう重大な外交的結果をもたらすことが十分予想される問題について、外務省が事前に相談も受けないという事実を知ったときの無力感、しかも、その後始末の苦労は押し付けられるやりきれなさ、そしてあえていえば、そういう外務省に対する扱いに対しても毅然とした態度がとれない幹部に対する不満と若い事務官たちの憤り、いま思い出しても心の中がどす黒く渦巻く思いがする。

さらに深刻なことは、以下に述べる他の問題を合わせ考えていくと、この地盤沈下傾向に歯止めをかける見込みもあまりないことだ。若くて元気のある外交官ほど、このままでいいのかとか、外務省が今のままだったら転身するしかないとか考え込む者が多くなっていると聞く。

外交官の仕事をやりにくくする大きな原因の一つに、「国内基盤がない」という問題がある。前にも述べたように、今日の外交問題のほとんどは、外務省の一存で決めることができない性質のものばかりである。つまり、外務省が外国と折衝し、交渉する前に、ほとんどの問題について国内的に権限をもっている官庁(所管官亡と方針を協議し、決定するという手続きを踏まなければならない。そして、外国と折衝した結果が当初の方針と合わなければ、再び国内的な協議、決定という手順を踏むことになっている。

仮に外務省がこういう「根回し」をしないで独断専行したら、所管官庁はそっぽを向いてしまうだろう。その場はなんとか収められるとしても、所管官庁は、「このツケは必ず払わさせる」といったやくざまがいの発想を胸の中に固くしまい込むだろう。だから外務省としては、自民党実力者の積極的支持や政府首脳の圧力でもない限り、そのような冒険はおいそれとはできない。

2015年6月17日水曜日

巨人々を震揺させた対抗馬

ちいさな穴を未然に防ぐのが、組織部員である。これは各課に二名いるのだが、職場委員や経協委員とおなじように、職場長の任命制である。誰が組織部貝か、一般の組合員には不明である。だから、組織部員は、職場では、「特高」とも「ゲ・ぺ・ウ」ともいわれたりする。研修会でみっちり労使協調の思想教育を受け、組合の活動で忠誠心を発揮し、やがて「総括」とか「係長」のポストについたものがなっているようだ。

職制と役員の二重人格で、次期の組合役員を選んだり、日産機動隊とよばれるハネ上がり分子を指揮したりする。部課長といえども、組織部員には一目も二目もおく。にらまれたら、彼の部下の統率にひびく。特高といわれるのは、そのためである。もちろん、仕事は、労働者の日常の監視と評定である。日産では、三日以上の休暇をとるときは、課長と職場長(組合役員)に「行動計画案」を提出する。誰と、いつからいつまでどこへ、なんの目的でいくか、を記入する。それが慣習となっているので、新婚旅行へ出発する労働者に、「何の目的でいくのか」ときいてしまった、との笑い話もある。

日産労組の来年の活動方針の柱は、P3運動である。これは、一九七七年から、生産性向上運動のキメ手として、日産共栄圏ぐるみですすめられているものだが、それを、さらに国レベルですすめていこうとするところに特徴がある。毎年一〇パーセントの生産性向上、毎年二〇パーセントの不良削減、「運動方針」には、こう書かれている。この運動は、産業企業の健全な発展を通じて、労働者福祉の向上・国民福祉の向上を求めていくものであり、三つのPは次のような意味をもっている。

①働きがい、生きがいの追求
P3運動は、自動車労連のすべての仲間が協力し、労働者参加による生産性向上運動を展開し、労働者および国民福祉の向上につなげていこうとするものであり、働きがい、生きがいを追求する活動の一環として推進する。

②労使協議による推進
生産性の向上には、労使関係の近代化、経営の民主化、とくに労働者の参加、労使の協議、協力が不可欠である。したがって、この運動は企画、実施、評価のあらゆる段階で、また労連段階、組合段階、職場段階で、労使が十分な協議を行いながら推進する。

③産業段階、国の段階等における発言力の強化
自動車産業の動向は、産業段階における経営者の政策や、国や地方自治体の産業政策によって大きな影響を受ける。したがって、産業、国、地方自治体等の政策に対するわれわれの発言力、影響力を強化していく。

賃上げの反対意見を暴力で封じようとしたリンチ事件にたいして、東さんたちは猛然と反撃を開始した。ビラやパンフをつくって地域の組合へ訴えて共闘態勢をつくり、集会をひらき、日産本社へ押しかけ、告訴し、記者会見した。これらが新聞で報道され、おりからの小型車国際戦争激化の情勢もあって、海外でも大きく報じられることになった。合理化工場の秘密の暴露である。それに力をえた東さんと嘉山さんは役員選挙に立候補した。追撃である。対立候補の出現は、日産労組史上はじめてのことだった。というのも、立候補者には「拡大職場委員会」の推せんが必要とされ、反対派が推せんされることはないから、事実上、対立候補者はあらわれない仕組みである。

2015年5月22日金曜日

子供が売り買いされる国の強烈な「格差」

結局、中国の「人権感覚」が数百年昔のまま、という認識を新たにすることでしかないのだが、その犠牲となるのが子供や女性、少数民族といった最も弱い人々であることもまたやり切れないことである。知人の在日中国人はいった。「貧乏で食べるのが精一杯な人間に、人権なんか関係ないんですよ。欧米は、人権という言葉を、中国を攻める口実にしているだけ」人権とは、貧しき者にも富める者にも等しく保障されるべきものというのが現代の世界の常識である。しかも、自身は、日本という「人権大事」の国にいながら、祖国の「貧乏人には人権不要」との言を、「知識人」を自認するその人は平然と口にした。世界最貧の地は、遠いアフリカにだけあるのではない。私たちの隣にある中国は、北京五輪を開催し終えた今となっても、この世で最も貧しい国のひとつだ。とくに、物質面での豊かさの・みを貪欲に追求し、支配層が富を独占し続けるためには手段を選ばないという考えが現代でもまかり通るという点で、「最も貧しい」国だといえるのである。

そうした貧しさと一見対照的に、強烈な「豊かさ」を見せつけるショーケースのような町であり、「美食の都」と称される広州。この町は、私にとっては複雑な記憶を甦らせる町でもある。早朝から夜中まで楽しめる飲茶や珍しい料理の数々は時折恋しくもあるが、あの高級ホテルでの子供たちのことを思い出すと、どうしても苦みを感じてしまうのである。子供が売り買いされる国の強烈な「格差」。中国には「裏口入学」という感覚がない? 地獄の沙汰も金次第の中国では当然、義務教育も「金次第」である。中国政府は、1986年、「義務教育法(小・中学校9年制の学費免除の義務教育)」を施行した。ところが、この政策は財源の裏づけに欠け、農村部の多くの学校が、学費以外のさまざまな名目の雑費を保護者から徴収してきた。

必要な雑費だけならまだしも、好条件の学校への就学と引き換えに、地方役人や学校関係者が親から賄賂を受け取るという中国の伝統的な習慣もまかり通っている。農村家庭にとっては重い負担となり、子供を中途退学に追いやる原因となっている。2004年の調査では、農村の小学生の中途退学数は10人に約2・5人、中学生は約4人だという。この問題は、経済発展が遅れてきた内陸部、チベットやウイグルといった少数民族の多く住む西部地区でより顕著である。一方で、都市部では金持ちの子弟専用の「貴族学校」が続々とでき、大学進学率も年々高まっている。中国では高校、大学の進学において「裏口入学」が公然であるらしく、何人かの大学生から、「あなたは何点足りないから、いくら払えば入れる」と知らされ、親が工面した金で「ゲタを履いて」入学したと堂々と口にしか。このことについて、中国人と結婚している日本女性と話をした。

「ほかの同級生への後ろめたさもあるし、日本人の感覚だと、やっぱり自分が優秀と思われたいから、お金で学校に入学したことは何かあっても黙っているよね?」こう聞くと、彼女は苦笑しながら解説してくれた。「中国では『金で問題解決ができる』ことは悪いことじゃない。むしろ、金が払えた=力があるわけだからいいことなの。後ろめたさ? 何それ? つてところでしよ」近年の中国は政府の奨励もあって大学新設ラッシュである。とはいっても、大学経営が必ずしも「おいしい商売」となっているわけではないようだ。多くの学校が外国人留学生の受け入れに熱心なうえ、名門大学までがホテル経営などのサイドビジネスに乗り出している。中国政府が大学新設を奨励してきたのには、教育レベルの向上という目的もあるが、口さがない友人は別の理由が大きいのだろうという。

「膨大な人数の若者が、10代で社会に出ても仕事はない。政府も与えてやれない。だから、一種の猶予期間をもたせるために大学進学を奨励してきたのよ」こうなると、貧しい親たちでも、たとえ借金を重ねたとしても「子供には自分だちと違う将来を」と考え、上級学校への進学に一緩の望みを託すのは当然の成り行きである。しかし、そうしてまで高校、大学へ進み、卒業できたとしても、それは所詮「猶予期間」が終了しただけのこと。大学新卒者の就職難という厳しい現実が待ち受けている。近年は新卒者の40%近くが職に就けないという数字も伝えられている。これに、80ページで紹介した、「1日1ドル以下(月3000円以下)の暮らし」という国際的な水準で見た貧困層が、中国政府の関係者の推定でも「2億人を超える」という状況を考え合わせてみてほしい。10%前後の経済成長率が何年も続いているのに、なぜ、新卒者に職がないのか? ここで思い出さなければいけないのが、「13億人」の人口問題である。

2015年4月17日金曜日

リアル書店とネット書店のちがい

たとえば、本書のような新書本の価格は、原則としてページ数に応じて決められます。少しでもいい内容の本にしようと、出版社も著者も努力するのに、内容に応じた価格設定にしないのです。トマトや牛肉の価格を決めるのに、味などの品質をまったく無視し、グラム数だけで価格を決めるようなやり方を、日本の出版社は平気でやっています。品質に対しておカネを請求しないやり方は。ネオン街の高級クラブに似た感じもします。しかし。高級クラブの経営者や従業員は、顧客満足度に応じたおカネをもらうために、他の価格設定をくふうしています。紙の本の価格には、そういった価格戦略がありません。日本では、紙の本を売るときに、顧客のことをさほど考えずに価格を設定し、原則としてその価格で売り続けます。

なお、単行本として数年販売したあと、文庫本にして安く売ることはよくあり。これは価格差別を意図していると指摘する経済学者もいます。たしかに。価格差別としての効果はあります。しかしそれは、戦略的に練られたものではないと感じます。映画のDVDソフトと比べると、よくわかります。映画DVDであれば、内容はほぼ同じものが、最初に高く売り出され、しばらくして廉価版として安く売られたりします。ただし、商品を廉価版に移行するのに、高いコストをかけたりはしません。他方、紙の本の場合には、文庫化するときに版を組み直したりしますから、同じ原稿を利用して別の商品をつくるような感じです。そうなると、価格差別としては効率が悪いといえます。

また、同じ著者で同じ内容の本なのに、単行本と文庫本が異なる出版社から発行されることもあり。個々の出版社からみれば価格差別になりません。著者にとっては価格差別として機能するかもしれませんが、そもそも日本では。紙の本の価格は原則として出版社が決めます。そして日本の出版社は。多様に差別化した商品を販売しているのに、価格戦略をほとんど意識していないという特殊事情があります。ケータイ小説なども電子書籍にふくまれますから、広い意味での電子書籍は。21世紀に入ったころから日本でも普及してきたといえます。ただ紙の本で新刊を出すときに、同じ内容の電子書籍も出すといったかたちでの、本格的な電子書籍への取り組みを、日本の出版業界が競い始めたのは、2010年のIPad登場がきっかけでした。

2015年3月18日水曜日

何をどう改革するか

高齢社会を迎えるにあたって、まず必要なことはきちんとした形で介護保険を整備することではないだろうか。介護保険がなぜ必要なのか、という点についてはいくっかの側面がある。いちばん大きな理由は、かんたんに述べるなら、現在でもすでに六五歳以上のお年寄りは一七〇〇万人であり、そのうち常時介護や医療を必要とする人は約二〇〇万人いるからである。しかも、この数がどんどんふえているのが、大きな社会問題である。

日本が高齢化のピークを迎えるといわれている二〇二五年には、約五二〇万人のお年寄りが介護を必要とするようになると推定されている。さて、人間はどのような経過をたどって老化していくのだろうか。アメリカの例をひくと、アメリカでは六〇歳から七五歳までの老人をヤングーオールドと呼ぶ。この年代の人々は仕事があれば仕事をすることもできるし、介護が必要になる人は比較的少ない。それにたいして七五歳から九〇歳まではオールドーオールドと呼ばれ、介護を必要とする人がたくさん出てくる。

割合については、いろいろなデータがあるが、年齢を重れれば重ねるほど、介護が必要になる人の割合がふえる。これが、アメリカに限らず、ごく一般的な人間の老化の過程であると考えて差し支えないだろう。今まで介護がさほど問題にならなかったのは、かつては介護が必要になる前に、私たちの先輩は病気で亡くなっていたからである。たとえば、戦前に恩給と呼ばれた共済年金を受け取った人々は、平均すると二年半しか年金をもらっていない。つまり、定年退職後、平均的には二年半で亡くなったことになる。

人生五〇年時代には起こらなかった問題が現在の高齢社会にはいろいろ生まれてくる。それが介護や医療の問題であり、高齢社会の背負わなげればならない課題でもある。もちろん老人は誰も彼もが介護を必要とするわけではなく、六五歳以上の老人のうち介護を必要とするのは現在は約七パーセントだ。ただし、もっと上のオールドーオールドの世代に限ってみれば、割合はぐんと高くなる。

では、介護の問題をどうとらえるか、という点について述べてみよう。まず、高齢化社会にあっては、ある一定以上の割合で介護を必要とする人々が出てくるのは当然である。だから、そういった高齢者の存在を前提として話を進めるべきだ。まず、そのような人々を救える制度を作らなくてはならない。

2015年2月18日水曜日

賢い格安チケットの購入方法

●「特定便割引」を狙う

各社は、販売を促進したい便に「特定便割引」を設定している。「早朝・深夜」など利用のしづらい時間帯、格安航空会社のフライトの近辺の時間帯、新幹線との競合路線などの割引率が高い。

最大六割弱の割引率だが、二割程度の割引率のフライトは簡単にみつかる。搭乗前日まで購入が可能なので便利だが、エアラインが設定した予定座席数が売り切れてしまっていると、期間内であっても購入できない。ただし、予約は変更できず、キャンセル料が高いので、手配は旅程が固まってからにしたい。

●目玉商品の大幅割引運賃を狙う

すでに有名になっているのが全日空の「超割」。購入と利用期間に大きな制約があるものの、国内全路線が一律一万円(最大割引率八一%)というのは大きな魅力である。

しかも、売れ残ったフライトが対象ではなく、発売日に新たな状態から予約できるのだからありかたい。当初は短期間だけのサービスで終了するとみられていたが、需要喚起の効果は抜群で、対象期間を拡大して継続が決まった。

その効果を見過ごせなくなった日航が二〇〇一年春から始めたのが「前売りスペシャル」だ。対象の搭乗日は五の付く日、購入は発売日から七日以内が条件で最大七四%、平均六七%引きの航空券を購入できる。

運賃はエリア別の均一料金で、たとえば大阪-九州の都市間は七〇〇〇円、東京-九州間は九〇〇〇円、東京-北海道間は一万円となる。さ
らに、二〇〇一年の会社創業五〇周年記念として五月の連休明けに全線五〇〇〇円均一の大目玉商品を用意した。五〇〇〇円均一運賃は、折りを見て今後も実施する予定とのことなので、見逃せない。

二社の動きに触発されたのがJASで、乗客の誕生日から一四日間は同伴者一名とともに全線一万円で何回でも利用できる「バースデー割得」を二〇〇一年五月から始める。購入には運転免許証やパスポートなど写真付きの証明書が必要。当面は一年間の期間限定だが、対象期間が二週間あるので乗客は都合をつけやすい。

需要の急激な伸びの期待できない中で国内航空の競争は激化するものと考えられており、このような目玉商品は今後増えると思われる。

●その他の割引を探す

航空会社では、これ以外にもいくつかの割引運賃メニューがあり、内容、条件、登録手続きは、各社の時刻表で説明されている。

誰でも利用できるものとしては「回数券」だが、スカイマークや北海道国際航空(エア・ドウ)では早朝、深夜の割安運賃を設定している。割引率は大きくないが、当日でも購入可能な点がメリットだ。新しい傾向の割引運賃としては、インターネットなどでの予約によるインターネット運賃(最大二九%引き。日航「e割」、JAS「ネットきっぶ」のみ。利用期間の限定あり)などもある。

また、事前登録の時間的余裕があれば、六五歳以上の乗客が平日に搭乗する「平日シルバー割引」(二四-三八%引き)、単身赴任者が帰省のために特定区間で利用できる「単身赴任割引」(二四上二八%引き)、二二歳未満の若者が空席利用を前提に搭乗できる「スカイメイト」(四三-五〇%引き)、介護のために特定区間で利用できる「介護帰省割引」(二五上二八%引き。JASグループのみ)なども利用できるので、該当するメニューがないかチェックしてみよう。

2015年1月21日水曜日

グローバル社会では貿易摩擦が起こるものである

また、世界の国民所得構造上、対外不足なり余剰(つまり輸入・輸出の差額の正負のことである)なりの比率が高くなってきつつあるのが戦後の特色である。これはIMFとGATTの両体制確立によって国際貿易が全世界に浸透し、各国とも自給自足経済からの脱却が自然に図れたからであるにちがいない。

とすれば、他国民のためにする生産・販売が当初から産業構造・生産販売活動の一環として、当該国の経済システムに組みこまれている予定の行動であって、販路をうしなった商品のはけ口拡大ではない。

もし、上記のように特定国または地域との貿易摩擦、すなわち一方的な輸出または輸入によって国際収支構造が著しく相手方に依存的になる傾向が進むとすれば、それはたとえば輸出の任にあたる商社や生産者の巧妙な技術やマーケティングを非難するにとどまらなくなってしまう。

つまり、その商品の輸出を行なう産業構造、輸出に依存せねばならぬ工業生産水準などがその特定商品を通じて相手国の産業構造や生産水準、そして自動的に相手国の国民所得構造との格差に直面することとなる。

すなわち、A国は貿易を通じてB国と経済のあらゆる局面で衝突することとなる。現代の生産社会は、一国の経済は産業の現況を反映する鏡だけではとどまらない。その国の社会構造や文化水準や人間の意識構造まで反映するようになっているの獣実際である。