2013年11月6日水曜日

近未来すら予測することが難しい

「このIT時代の、ますますグローバリゼーションの進む経済機構の中で、ブータンはいつまで独自のアイデンティティと高度に精神的な文化を保つことができるだろうか、と多くの人は疑問視します。わたしは個人的に、何の疑いもありません。マニ車(祈祷真言筒)に納められる、従来は木版で手刷りされていた祈願文が、コンピューターを使って巧みに印刷されているのを見ればわかるとおり、ブータン社会は、深く伝統に根づいていると同時に、活気に溢れ、新しいアイデアを評価し、受容し、変容し、それをブータン流の生活の一部に取り込んでしまう並外れた能力を持っています」(前掲書)

これを発展途上国の単なる楽天的な見方と嘲笑する人もいるであろう。抗しがたい力に押し流されるかのように、すべてが急速に変化する世界情勢の中では、近未来すら予測することが難しく、何一つとして確定的なものがないのが現状である。それ故に、この嘲笑が当たっているのか、王妃の自信が当たっているのか、それは現時点では判断できないであろう。わたしは、ますます近代化が進み、グローバリゼーションが加速化する中にあっても、ブータンはその文化的・精神的伝統を保ち、独自のアイデンティティを持った人間味のある生活様式を続けてほしいと切に願うだけである。

二〇〇七年初春、わたしは久々にブータンを訪れた。パロ空港の「静けさが聞こえてくる」とでも形容したい静けさ、そして入国管理官、税関員、警備員の表情にも、さらには風にも木々にも感じられる、言葉にならない、それでいて現にこちらに伝わってくる明朗さ、すがすがしさ、のどけさ、そしてぬくもり。それを前に、優劣、先進・後進といづたことは抜きに、何と人間的なんだろうと、羨ましさを禁じえなかった。入国・通関手続きを終えて、空港の外に出たが、ティンプから差し向けられた出迎えの車が遅れたため、わたしは二時間ほど待つことになった。一〇〇人弱の旅客が立ち去った後のパロ国際空港は、車も人もいなくなり、わたしは音一つない静寂さの中で一人になった。

空は雲一つなく、どこまでも青く澄みわたり、空気はひんやりとしているが、陽光は心地よく暖かかった。周りの山裾に立てられたダルシン(祈願旗)が、そよ風に音もなくゆるやかにゆらぐのが唯一の動きであった。前日までの東京、バンコクといった大都会の喧噪から遠く離れたこの谷間で、わたしは至福の安らぎを感じた。ようやく到着した車に乗って、通いなれた道をティンプに向かった。しかし、空港から首都までの五〇キロメートルほどの道は、全線複線化工事中であり、首都の手前数キロメートルには片側二車線の自動車専用道路も建設されていた。すべて二〇〇八年に予定されている第五代国王戴冠式に向けての準備である。

しかし、パロから首都ティンプまでの五〇キロメートルの道沿いには、今でも集落らしきものはほとんどなく、人家は山肌にへばりっくようにあちこちに散在している。ここ四〇年来の近代化に伴って、全国でいくつか人口数万人の都市が誕生したが、それ以外では、これが現在でも人口の大半が農業に従事するブータンの伝統的な生活空間である。この光景を目にすると、ブータン人がいかに自然に溶け込み、自然と調和した生活を営んでいるかがわかる。人口が一〇万人ほどに急増し、地域的にも大きく拡大したブータン最大の都市、首都ティンプは全域工事現場といってよく、数階建ての建物、ホテル、新しい道路、施設が建設中であった。