2013年8月28日水曜日

脱基地のシナリオが現実昧を帯びない理由

企業誘致も、どこか地に足がついていない感じがする。小泉政権時代の〇二年、名護市は日本で唯一の金融特区に指定された。さらに那覇市、浦添市、宜野座村とともに情報特区(IT特区)にも選ばれた。このために総事業費四五億円を使ってできたのが「マルチメディア館」「みらい一号館」「みらい二号館」だが、雇用を創出したのはわずか二〇〇人という報告もある。実際に町を歩いてみても、金融特区やIT特区から想像するようなにぎわいは微塵もない。なんだか静かすぎていて、「特区」と言われるイメージが伝わってこないのだ。「金融」も「IT」も、英米の新自由主義政策と平行して発展してきた分野である。金融工学といった摩詞不思議な学問まで生み出したが、要するに、世界の最先端を行く産業を沖縄にもってくれば何とかなると考えたのだろう。

たしかに金融やITはモノの生産と違って、沖縄のような小さな島でもうまくやれば成功しないとはかぎらない。しかし、金融特区によって、沖縄が金融センターに生まれ変わるには、それなりの条件も必要だ。英国がロンドンを金融センターにするために、都市施設などを含めたハード面からソフト面まで、さまざまな条件を徹底して調査したという。つまり、金融センターになるには、そこに金融の「根」となるインフラが必要なのである。いったい名護のどこが金融特区にふさわしいのか皆目検討もつかない。さらに沖縄には、地元の銀行を守るために、宝くじを発売していた旧日本勧業銀行(現在のみずほ銀行)以外は、進出を認められていない。日本の主な銀行の支店すらないのに、なぜ金融特区になりうるのだろうか。金融特区なら金融特区らしく、まず条件整備をすべきなのに、これでは最初から成功しないと言われているようなものだ。

東京が国際金融センターとしていまひとつ発展しないのは、規制が厳しすぎ、外資が参入できないからだと言われている。ところが、名護の金融特区はそれに劣らず条件が厳しく、市長みずから「緩和してほしい」と内閣府に陳情しているほどである。那覇で会った金融業者は、「名護に事業所を移したら所得税の軽減などの優遇もあるようだけど、あんな辺鄙なところに事業所を置いていたら、仕事なんてできませんよ」とせせら笑った。そりゃそうだろう。民間業者にすれば、生き馬の目を抜くような時代を生き抜いているのに、特区をつくれば何とかなると思っている政府の脳天気さに呆れるのは当然だ。

ある時期から、普天間基地の移転問題を和らげる対策の一環で、北部に本土企業のコールセンターが増えた。これは、仕事がない北部に雇用を増やせという地元の要求に応えたものだ。若い人はそれでいいが、年配の人は働けない。喋るとイントネーションで沖縄だということがわかってしまうからだ。それでもいいという企業は、むしろパソコンメーカーのDELLのように、沖縄よりも中国を選ぶ。現在、DELLの電話サポートはすべて中国に置かれているが、そのほうがコストがかからないからだ。というわけで、脱基地のシナリオとしてはどれもパッとしない。ハコモノは基地がなかったら維持できないし、『特区は様子見を決め込む業者でいっぱいだ。

農業振興にも、開発振興事業予算から一二二%(一〇八五億円)が使われているが、大半がサトウキビだ。霞が関の論理に引きずりまわされて、補助金のつく楽な農業を選んだがゆえに、沖縄の農業に本土の農業と同じ崩壊の道を歩ませている。沖縄の農業粗生産額(農家の農産物収入と加工農産物の販売利益)は九五三億円、経費を除いた農業生産所得は四八九億円。その一方で軍用地料は、二〇〇〇年度の八二六億円から推定して、現在は八五〇億円と、農業所得の一・七倍もある。〈沖縄は「農業県」であるよりは、はるかに「軍用地料県」なのである〉(『一坪反戦通信第一三八号』の来間泰男沖縄国際大学教授の証言)と言われるほど、沖縄の農業は基地経済の中に埋没している。