2012年12月25日火曜日

米はお産と大変密接に関係している

動物性タンパク質を多く含か肉や魚、それにビタミンに富か野菜などを、私の知識を駆使してせっせと食べたのだが、あまり効果があったようには思われなかった。実ほから、「私らは何にもたいした物を食べたわけじゃないのに、しぼって棄てるほど出だのに。あんたの飲まそうとする努力が足りんのじゃ」などと非難されるし、次女はミルクを飲まそうとすると歯を食いしばって絶対に飲まないし……で、あの時は本当にせつなかった。私の身体は女性として劣っているんじゃないかなどと、自信を失くしたりもした。

どうも思い起こして総合してみると、あんまり栄養だとか何だとか気にしないで、どちらかといえば実だくさんの味噌汁などを毎日、上に食べていた人たちの方が、よくけ乳が出ていたように思う。最近乳房マ。サージで注目されている桶谷式の乳指導でも、あまり動物性脂肪は摂らないようにと指導しているというから、米などのでんぶん質系統と野菜類を主とした味噌汁という栄養学的にみれば至極単純すぎて問題のある取り合わせの方が、案外、効果があるのではないかと私は結論づけている。これなども、教科書通りの栄養理論のみでは片づけられない人体の生理の不思議というべきかもしれない。

ただし母乳の生産量の多い人少ない人という体質の問題があるかもしれないしヽ食品や環境の汚染の問題もあり、産婦自身がストレスなどにより体力を落としていることも考えられるから一概には言えない。しかし母乳量を増やしたいと切望している人は、一度試してみる価値はありそうだ。このように、お産の始まりから産有期にかけて、米はお産と大変密接に関係している(日本全国に類似の風習が広くみられる)。私の調査した地方は非常に米の収穫の少ない、または皆無の地であり、日常の主食は芋、とうもろこし、麦飯(米二・五合、丸麦一升)であったことを考えれば、人々は白米飯など、米には特別な思い入れがあり、貴重なものと考えていたであろう。そういう点から推察すると、伝統的な社会においては、お産は非常な特別待遇を与えられるほどの重要なものと解されていたことがわかる。


「ヒマヤ」、「サンヤ」、「デーベヤ」瀬戸内の島々や沿岸部には、「ヒマヤ」とか「サンヤ」という風習もあった。「ヒマヤ」には暇屋(西条市、西ノ川、T家)、秘魔小屋(大三島、F家)などの字があてられた。近在一といわれるような大きな家の庭の一隅に建てられていて、T家のはご了三平方メートルくらいの広さで、真ん中にいろりの切ってある一部屋の一戸建てであったし、F家のはそれより少し広いと思われたが、同じたたずまいで、内部は土間と畳の間にわかれていた。なお内部は改造されていたので、くわしくはわからなかった。

これらの小屋で、一家の女性たちは月経時や産獅期を過ごした。T家では一度だけ出産もここで行なわれた。またF家では、二〇世紀の初頭まで実際に使われていたそうだ。別家など建てられない庶民で、それでも女性の生理などについての仏教の不浄の教えを厳格に守る家において、古い時代には女性たちはそのような時、戸外の軒下にむしろを敷いて生活したし、少し近年になると家の中の土間にむしろを敷いて暮らすことが許され、やっと、「昭和の初め頃には家の者と同じ所で暮らして食べ物だけ別火にした」(上須戒のKさん、A氏の妻ともに一九二〇年代に初産)。そこでの暮らしは、さみしいし、つらいものだったという。