2012年8月9日木曜日

金融庁人事の独立性

独立性で言えば、金融庁の人事についてもいえる。一見、金融庁側は人事面でも「大蔵省の植民地」から脱皮しつつあるように見える。たとえば、二〇〇〇年七月の金融庁幹部人事では、九八年四月に民間金融機関からの接待を理由に処分された官僚のうち、国家公務員法上の懲戒処分を受けた三二人については金融庁に受け入れられなかった。

大蔵省側が金融庁の次長として送り込もうとしていた福田誠前金融企画局長(六八年入省、東人法)が、この規制のため金融庁に移れず、退官を余儀なくされた。また、金融行政のプロと目されていた何人かの官僚も金融庁に移れなかった。

このほか、大蔵省のライバルである通産省の前課長を金融庁の監督部証券課長に受け入れたのをはじめ、農水、郵政、外務省や経済企画庁などから課長補佐、係長級の人材を多く受け入れた。「大蔵色」をある程度は薄めたのである。

しかし、大蔵省との人事交流を遮断する「ノーリターンールール」が適用されるのは、部長以上に限られる。つまり、課長級までは行き来自由であり、本省人事の一環として人事勧告を行えるのである。実際、課長クラスはほとんどが大蔵省からの出向組で占められている。リターンで金融庁に出向してくる部長級以上の幹部も、これまでは全員が入試出身組であり、その事情は当分は変わらないだろう。

旧金融監督庁が九九年度から採用を始めた一期生のキャリア官僚が幹部クラスに育つまで、人事面での「大蔵植民地」の状態は続かざるを得ない。また、金融庁の総勢は七三〇人、そのうち検査官は三百十数人にすぎず、米国に比べて一ケタ少ない。しかも、金融庁は地方にまったく手足を持たない。このため、地方の金融機関の検査・監督については大蔵省の地方財務局に頼るしかないのである。

このほか、金融危機管理・金融破綻処理の企画立案については依然として大蔵省(財務省)との共管になる。そのため、大蔵省の大臣官房には信用機構課という組織が残る。「財政・金融分離」が不完全だという批判かおるのは、こうした状況があるからだ。

共管といっても、金融庁が主で大蔵省は従だが、必ずしもこれを額面どおりには受け取れない。なぜなら、破綻処理はもちろん、危機管理でも巨額の財政支出を伴う。その場合、財政を握っている大蔵省が事実ヒの主導権を握る可能性が強いのである。